ところでVって書いたけど、今と昔でVの捉え方が変わってそう。virtualじゃないですvisualです。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
パラリンピックもネットならいろんな競技が観れるのかなと思ったけど調べた感じ全然そんなことなさそうだった。
日本だと本当にNHKが放送している程度なんだなあ
オリが先なのはなんやでオリに忖度してるだけなんじゃないかなとか。
パラは後発大会だし。
なんとなくオリの付随大会感が(これは個人の感覚)
パラ的な前提には「五体が満足でないとスポーツができないみたいな概念を払いたい」があるんじゃないかな。それは見る方面によっては多様性ではないのかもだけど。
競泳は人によって泳ぎ方が違くて学びがありました。真の意味で自由形だなあと思った。
才能がないと出れないはたしかにそうですね。誰かが「学生観覧の目的に障碍者について知ってもらったり多様性の理解を深めることがあるが、選手になれるような一握りの才能を持った人だけ見て学びとれるものって一部だけじゃないか」みたいなことを言っててそれはとても納得できるものだったし。
別物として扱ってると先にやったとしても認知の差があるので、触れない、気づかれない、知らないうちに終わってる、があるんじゃないかなという懸念。
実際メディアがオリとパラで扱いの差があるし(パラの民放放送はほぼなし)
先にやると先にやったということになるんじゃないですかね……。
個人的にはオリとパラで区切らず、オリパラとして開催する方が真の意義に近付くのでは…と思う。オリンピック閉会式の「終わった感」でなんかみんな一区切りついちゃうよね。
かくいう自分もこれまでパラリンピックの試合ってほとんど見たことないんだけどね…
ただ、競泳の身体障害者部門を見たときに「なるほどこれが多様性か…」という気持ちになった。
あと車椅子ラグビーや車椅子バスケはめっちゃしゅごかった(語彙力)
パラリンピックの真の意義を問い始めるとオリンピックとパラリンピックが分かれて存在して別々に開催しているのはどうなんだという気になる。
これはメディアや一般人の興味や意識の差も同様。