適切な代替案は思い浮かばないがそれでも死刑をするべきではなくて、なぜかというと死刑を容認する事は人間を「殺して良い人間」と「殺すべきではない人間」という彼我に分けて差別するという事を避けることができないから。
適切な代替案は思い浮かばないがそれでも死刑をするべきではなくて、なぜかというと死刑を容認する事は人間を「殺して良い人間」と「殺すべきではない人間」という彼我に分けて差別するという事を避けることができないから。
あたかもトロッコ問題のように「彼を殺さなければ別の人間が必ず死ぬ」という状況下でのみ「誰であろうと誰も殺すべきではない」というお題目を守ることが叶わなくなる。が、死刑執行が可能なケースでは彼はすでに捕まっているはずでありそのようなジレンマにはあたらない。
ちなみに「死刑の存在がもたらす犯罪の抑止効果」についてはどうでもいい。実際に犯罪の抑止効果があったとして、そのために何をやっても許されるかというとそれは違う。
シューベルトの即興曲D.899-3はフジコ・ヘミングの演奏がダントツで好きなんだけど、なぜかといえば母の演奏に近いからなんですね。それ以上の理由がない。
僕はヤンデレという概念がキライで、というか少なくともメンヘラとは全然関係のないものだと思っている。メンヘラというのはもっとずっと遥かにどうしようもないクソだし、なにより「自ら滅びようとするものが断末魔とともに放つ眩しい光のようなもの」が感じられない。