ヌヴィレットとドットーレ並んで欲しい
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渚カヲルは別にシンジくんのことを傷つけたいがために使徒として握りつぶされたわけではないが、その愛情があまりにも深過ぎる+表現がわかりにくすぎて、当のシンジくんは「裏切ったな!!」と思ってしまうのが歯がゆくも美しいすれ違いだなと改めて思った。
シンジくん「僕を理解してくれるっていうのなら、ずっと傍にいて欲しかった」
カヲルくん「僕が傍に居ても居なくても、君のことを理解しているヒトが存在した事実は変わらない」
この愛に対する認識の差がTV版では大きいんだな。
初めて見た時はこのあたりがわかっておらず、私からしてもカヲルくんの愛情表現ってよく分からないものだったんだけど、メタ認知が強いな〜。それはそれとしてさみしいっていう側の視点も忘れたらいけないだろ👊👊👊と思うので、ディスコミュニケーション感が拭い切れない。(そこがいい)
昔はカプだし恋愛だよ!だったんだけど今は「汝隣人を愛せよ」ってふたりだなあと認識が様変わりした。
とはいえ相変わらずカプなんだけど、ブロマンスとするにはお互いに心が通い合ってなさすぎるので(愛情の贈与が平行線すぎるように見える)、相互理解からスタートして頂けませんか?という思いが強い。とはいえかたや人外、かたや14歳にそれを求めるのは……酷すぎ〜!そう……14歳なんだよなシンジくん……。
それはそれとしてなんも考えずに恋愛も見たいのでカプとする。します。
これをTwitterでだら〜と話してて、だから私はシンジくん推しだったんだね……っていう気付きがあった。どっちかというとシンジくんの気持ちが自分のことのように分かるという意味ではなく、単に彼が求めているものが何かすぐ察知できてしまったので、自分にとってわかりやすかったんだと思う。10年前くらいの、当初の目線が同情だとすると、今は共感的理解に見方が変わってる。
TV版のカヲルくんからシンジくんに向けられる感情内訳はおおよそ「君が優しくて思慮深く、誰よりも人の痛みがわかる人間であると理解しているから、例え大勢が君を理解しなくとも、僕は君の味方であり続けよう」であって、やっぱ相手の要求・要望を汲むものではなさそう。
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心が抜群に通い合ってしまってるのに恋愛には絶対に発展しないの、私の中では『誰ソ彼ホテル』の大外聖生と塚原音子のコンビ
アニメ版のカヲルくんはシンジくんの繊細さを理解しながら人類による使徒殲滅という形式を貫いたあたりに関してシンジくんへの感情配慮がない👊👊👊って無限にキレる(キレない)けど人類大好きな使徒の役割としては正しいのかも。本当に?
案外ひとの情を真っ当に受け取る入れ物がない方だと思う、握りつぶされる間際に関しても淡々と自分の役割を伝えたうえで手っ取り早く悔いの残らない方法(自由を得たい)を選んでる。
「生と死は当価値なんだ、僕にとってはね。自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ」
渚カヲルの内心は「僕はキミが思慮深く誰よりも人の痛みがわかる人間であると理解しているし、大勢が理解しなくとも味方でいるよ、だから君のことをもっと教えて」だと思うけど、それはシンジくんへ向けられたものであると同時にシンジくんを通してその他すべての人類へ向けられた視点なんじゃないかってことを考えてた。