@yossi@mstdn.jp アダムは、この計に失策してハリストスがこれらを成就した。主は、十字架のうえで原罪まえの最初の人ぎた場所としての天国と、今この地上とを結んだのである。このことは、創造主と被造物の結合を意味する。神は、アダムの失策を予見していた。神の子は、至聖三者の先在せる意志において「世々の先に殺された子羊であった。
神言葉の籍身の神秘は、それ自体のなかに聖書のすべての象徴、秘められた意味、感性と知性による創造された存在に秘められた意味も含まれている。さらに進んで、復活の神秘に分け入り、その意味を見出す者は、神がすべてのものを創った目的をはじめから悟るのである。
肉体となられた主は、堕罪まえのアダムの本性である不死や不壊であったが、人のために自発的に十字架にしたがった。
信仰の目には、ハリストスは神の位であるばかりでなく、神の像として創られた各々の人の位でもある。ハリストスは、このふたつの性を区分しながら、お互いに混じることなく、共存している(*)のである。しかしながら、このふたつは、一方が他方に変形されることなく本質において結合されながら、本性が諸力となって流出するのを見る。