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Misskey登録してみた。
はじめまして。

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@yossi@mstdn.jp
祈りの時、人間関係のできごとから来る空虚なる表象をここらから投げ捨てよ。より低次なるものを想うことを止めないなら、くらべものにならないほど、すべてのものにも優れるものを失う。(三の四十九)
聖マキシム

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@yossi@mstdn.jp
諸被造物が永遠に神とともに共存するという者がいる。それは、不可能である。事実上、あらゆる面で限りあるいものがどうして、絶対的に限りないものと永遠に共存しえるだろうか。あるいは、いかにして本質的に創られたものが創り主と同様に永生に共存しえようか。無から存在として生み出されたものが、事実上、始めなくあるもの、常に在るものとは、ともに永在に至っていることはありえない。
(四の六)

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@yossi@mstdn.jp
ハリストス教徒は、失敗と痛悔を通じて神の無限なる愛に目覚めて新たなる躍進を遂げる。ほのような個の体験から普遍的に人類にたいする神の愛の無限性を悟れ。人間性のもろさを知る者は、聖なる力である籍身されたハリストスも、また同じような体験をしたことを思え。
(二の三十九)

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@yossi@mstdn.jp
儀式における象徴は、ただ単に精神的実在物を憶い起こすのみでは不十分である。記憶とは、神の実際的啓示の神秘に入りこむことである。
聖体礼儀は、神の救いのための偏在をすべて表明しているものである。小聖人は、救主の第一到来を表す。主教の至聖所、宝座への上昇は、昇天のかたどりである。補助司祭団の入場は、異邦人の教会への入信を象徴する。
罪の許しは、神の意志が、各人に及んでいられおとを示す審判である。聖歌は、神へ純粋なこころを捧げている喜びの表明である。安和求呼は、厳しい修練の後の瞑想的清浄生活を憶わす。福音書誦読、主教の王座からの下降、未信徒放出、門閉、これらは最後の審判、主の再来、選良者と堕罪者の分離、見える世界の滅亡を象徴化している。
大聖人は、永遠性の啓示を表す。安和の接吻は、すべて人々が神と次第に合一を成し遂げていられおとを示す。選ばれた人々の感謝の表れである。

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@yossi@mstdn.jp
「聖、聖、聖」は、人のこころが天使の歌唱へ昇っていくことである。天使は、神の永久運動の不動性においてひとつで、かつ唯一三者であるものを福し賛美する。
天主経は、ハリストスにおいて我われがその子らであることを表し、最終の歌「聖なるはただ独り、主なるはただ独り」は、創世の至高なる入場が聖なる結合、合一の深淵を想いおこさせる。