おやすみふぇふぇぢばーす
「毎週動画更新!」とプロフに書いてあるYouTubeチャンネルの数年前から更新が途絶えているのをみると、なんか興奮してしまう。
なにが、なにがあったの、教えて、どんな、どんな気持ちになっちゃったの?ねぇねぇねぇ!みたいな(カス
やっぱ昼間歩くと夜心地よい眠気が来るのが良いな。
やはり運動は昼がいい。聖書は正しい。
「昼間歩けば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜歩けば、つまずく。その人のうちに光がないからである」 ヨハネ11:9ー10
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同時に、現在のアウトドア界隈の一部にある「自然にあるものを所有者の許可なく一つでも持ち帰ってはならない。それが自然保護だしモラルだ」という思想にも「あんたらは私的所有から生まれた現代の問題を私的所有の論理で解決しようとする。それは血で血を洗うというか、トイレのあとに💩で手を洗うのと同じでは?人に説教するなら、もう少し別視点からのアプローチはとれないのか?」という違和感もあります。
すげー良かった。
印刷してマーカー引きながら読み直そう。
QT: https://fedibird.com/@utan/114126769058519512 [参照]
読むぞおおお
『里山に入る前に考えること-行政およびボランティア等による整備活動のために-』(森林総合研究所関西支所、2009年3月)
http://www2.kobe-u.ac.jp/~kurodak/satoyama2010_3.pdf
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ざっと浅くナラ枯れ動画を見てみたけど、哲学分野の私からの現段階の見解は
「おそらく現在有力視されている原因説のだいたいが複合的に原因として存在しているのではないかと感じる。
ここから否定される説は『自然は自然で閉じて循環している』という俗説であり、人間も自然の一部である以上、山の樹木も昆虫も人間社会から影響を受けて変化している。ユクスキュルの環世界は、その意味で閉じたものではない。
そこで人間側からのナラ枯れに対する適切な働きかけは、地域や状況や文化や産業や予算といった多元的な要素の絡み合いの中から選択され、トライアンドエラーで自然の変化の意味を探っていくしかないのだろう」
という、なんとも迂遠で茫漠としたものでした(浅学菲才
引き続き勉強します。
中道バランス派もいて大変面白い。
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なんでソヨゴに謎の実があるの?
と調べたら、ソヨゴタマバエという寄生虫が作ってる虫こぶらしい。おもろすぎる
https://blog.goo.ne.jp/ets5316/e/db4105804084c6cd67c923daef36b1fb
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まぁ、そうやって人様を叱ってあげるには、自分が傷つきを受け入れていかにゃ無理である。
受け入れるべきは受け入れ、怒るべきは怒り。修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行
暴言や誹謗中傷は論外だけど、日常会話領域では「あなたの言った事で傷ついた」と言われても「あのねぇ、その程度で傷つくなんて、他者に対して失礼ですよ」と返せるくらいの気概は持ってないと、生活が進まないことが多い。うえを。