おはようございます。
よほどのことがない限り、本は買って読むけどなあ…。絶版でどうしても読みたい本だけ図書館で借りるけど、めったにない。
最近は減ったけど、それでも収入の1割以上は本に消えるので生活が圧迫される(金銭的にも物理的にも
そういえば、来月発売の某誌にぷれろまの記事を書きました。MastodonやActivityPub、連合についても書いたけどページ数の都合で大幅カットされた^^;
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久々にヘンデルのソナタ聴いてるけど、当時の慣習とはいえ、ヘンデルほんとに自作の流用多いな…
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ヘンデルのソナタを聴いていたら無性に作品1が吹きたくなったので、吹いてた。4曲中3曲はレッスンに持っていったことがある曲なので、今でも暗譜で吹ける。
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ところでタキトゥス『アグリコラ』は『ゲルマニア』と共に國原先生の翻訳がちくま学芸文庫(1996年)に入っていて,その「訳者あとがき」が非常に印象深い文章ですので少し長いですが引用.
「古典は洋の東西を問わず,俗受けしないし,一時的にせよ流行ったり廃れもしない.古典はいつの時代にも,僅かな,しかし熱心な読者に求められ読み継がれ,幽谷の泉の如く訪れる旅人の喉を潤してくれる.
「しかし古典を読み始めると,静かな孤独の書斎が俄に賑わってくる.ギリシアやローマの古典の場合,今世紀初頭からの,運のよいときは十九世紀の西欧の碩学の御来駕を仰ぐこともあり得るのである.
「数種類の校訂本,註釈本,訳書を手許におき,難解,疑義の教えを乞い,多様の解釈に驚き,同じ見解に安堵し,軽率な読みを窘められながら諸学者と対話していくとき,古典を読む醍醐味が味わえる.このような諸刊本の比較考証を書き留めた註記は,一般の読者に無視されて当然であろう.しかし読者の中に西欧の対訳叢書の一冊と拙訳を比較しながら読まれる方のあることを心の中で願っている」(pp.249-250)
来月からAmazon Audibleが聴き放題からコイン制に変わるのだけど、あまり話題になってない気がする。それだけユーザーが少ないのかな…
https://www.audible.co.jp/transitioninfo
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