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来月から放送開始する、中国アニメの日本語吹替版に、日本オリジナルの主題歌がつくと昨日発表があって、それを歌ってるひとたちのファンが喜んでらっしゃるし、曲全体は悪くないと私も思うんですが。

中国アニメであることを意識して、曲タイトルや歌詞に中国語のカタカナ表記を入れてくれてるんですね。ウォーアイニー(我爱你)とかザイチェン(再见)とか。北京語ベースの普通话(標準中国語)読みです。

で、そこに突然、モウマンタイが出現する。なぜ! ここだけ! 広東語! アニメの原音は全編、標準語です。カタカナ入れたければメイウェンティ(没问题)では。

っていうのが、だいぶ気持ち悪い。野暮なこと言いたくないけど、こういうずれが、分かってしまうと引っかかるタイプです。でも野暮だよね……。

なんかさー、1990年代に『無問題(モウマンタイ)』という香港・日本合作映画があったせいか、日本ではモウマンタイが変に定着している気がする。ニーハオとかシェイシェイ(←これも谢谢は敢えてカタカナ表記するならシエシエだろ! イはどこから来たんね!? って特定界隈で定期的に燃えるやつ)と同じような感じで。

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植本一子『愛は時間がかかる』(筑摩書房,2023年4月)

数年にわたって断続的に通っていたカウンセリングセンターで、トラウマ治療を敢行した記録。電光掲示板を使い眼球運動を促しながら記憶を掘り下げていく、EMDRという手法だそうだけど、そのへんの技術的な説明は最小限で、ほぼ治療を受ける側の主観に徹したエッセイ。

治療が進むにつれ、もともと問題を自覚していたパートナーへの接し方などが徐々に落ち着いていったようすが読み取れる。これまでに刊行されていた公開日記で、複雑な関係にあることが語られてきたお母さんとも、この治療のあとは歩み寄りが始まっている。

過去のつらい出来事ひとつにつきたった1回ずつのセッションで、忘れようとしていた記憶までもがそこまで鮮明によみがえり、そして同じ変わらぬ事実に対して自発的に新たな視点が発生してくるものなのか、そんなにも人の脳というのは外部刺激でコントロールできてしまうものなのか、と思うとちょっと怖い気もする。

〔つづく〕

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〔つづき〕

でも同時にだからこそ、社会のなかで生きづらくなるほどのわだかまりを長年抱えていても、あとからそれを解きほぐして心のバランスを取り戻していくことは不可能ではないという希望にもなるのかな。

植本さんはとても繊細なひとで、それが写真作品や文章の独自性に寄与しているし、彼女に寄り沿うパートナーや近しいお友達もその性質をありのままに愛していらっしゃるのでしょうけど、そういった人たちが大切であるからこその、極端な感情を衝動的に振り撒かずにいられるようになりたいという治療への意欲だったのだろうと思うと、僭越ながら本当に応援の気持ちが湧きました。この方向性が今後もいい感じのところで安定するといいですね。

あと私は、いまいち繊細さに欠けるという自覚があるので、せめて繊細なひとをすりつぶさないやわらかさを持つべく心がけていかなくてはなあとか、本書を読みながら考えていました。

〔了〕

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斎藤淳子『シン・中国人 激変する社会と悩める若者たち』(ちくま新書,2023年2月)

北京在住26年の著者が、いまどきの中国の若者たちの恋愛観・結婚観について取材してまとめた本。

あまりにも壮絶なスピードで変化していくかの国では、人生を方向付ける価値観の変化もとんでもなく急激で、当然ジェネレーション・ギャップもものすごいことになっている。あるいは、「世代」未満の年齢差であってさえ。中国の社会制度に起因する、地域格差も激しい。また変化の勢いが余ってのことなのか、考え方が非常に極端な感じになっていたりも。

興味深いのは、こちら側の感覚では「旧弊」に思えるようなジェンダー観なども一部、若い人たちのあいだで近年むしろ強固になっていたりする点(そしてその理由も解説されている)。

〔つづく〕

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〔つづき〕

また変化の内容によっては、極端なので一見、奇異に受け止めてしまうけど、世界全体としても、もう少し緩やかなペースではありつつ、そちらに流れていっているのかもしれない、みたいな感想も抱く(若者ならざる身なので外から見た印象です)。

最終章ではここからまた新しい段階に入っていく可能性も示唆されている。まあ、もともと短期間での変遷が続いている社会なわけですしね……。

なんにせよ、個人的には「マジで?」と驚いてしまうような考えを主張する人も取材対象のなかにはいるんだけど、良し悪しの問題ではないですよね。みんな、置かれた社会のなかで幸せになりたいだけなんだ。思い描く幸せのかたちにこだわりすぎるのも、かえって息苦しいのではと、停滞しつつある日本で暮らす年寄りとしては、どうしても感じてしまう部分はありますが。

〔了〕