『バクラウ 地図から消された村』感想メモ これもインスタンスをまたいで検索しやすいようにタグつけておきます→ #映画
RE: https://misskey.soda-net.com/notes/9bkpns18xr
『バクラウ 地図から消された村』感想メモ これもインスタンスをまたいで検索しやすいようにタグつけておきます→ #映画
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万物に価値があるという立場をとれば、「無意味さ」に「価値」はあります。
人が他人の価値をジャッジするなんてナンセンスという立場をとれば、どんなに主張が込められてようと万物は無価値で、それでいいと思います
補足:「中身のない」というのは「強い意志で伝えようとする主題のない」という意味です
ご飯美味しかったとか、花が咲き始めてきれいとか、通り過ぎる感情をふと記し、強い意志はないけれどちょっと伝えたいと思ったことのメモ という意味合いで、中身がないから価値がないというわけではないし、よりアナーキーに言えば誰かの発言に価値なんて無くて良いという考え方もできます
あ、でも、3000字(論理的構造を持つ文章)と、中身のない短文が並立するプラットフォームは楽しいかもしれないですね
でも本当に情報を残しとくなら自分のドメインで自分のサイトに書き留めた方が良いが
*途中までのメモです。自分の為のメモと人に読ませるテキストの中間ぐらいの書き方をしています
*気が向いたらブログとかにまとめ直します
# 要点
- 私達は一つになる(同化する)ことはできない。
- 教育は差異を埋めるものではない。
- 差異は差異のまま。もし連帯があるなら、差異を同化せぬまま……
# 作品概要
『ブルースだってただの唄 黒人女性の仕事と生活』
藤本和子, ちくま文庫, 2020
1980年代、黒人差別に由来するアメリカ国内の黒人の構造的な貧困についての、黒人女性たちの語り
『RRR』
S.S.ラージャマウリ, インド, 2022
1920年、イギリス占領下のインドを舞台に、反英活動を蜂起する話
関連すると思った作品:『バクラウ 地図から消えた村』
原題:Bacurau, クレベール・メンドンサ・フィリオ, ジュリアーノ・ドルネレス, ブラジル・フランス, 2019
近未来、ブラジル北東部の貧困地域を舞台に、逃亡奴隷をルーツとするマイノリティの村人たちが、ブラジル南部の富裕層・西洋世界(アメリカの白人)に抗戦する話
『バクラウ』の感想はCoffee Break(Misskeyインスタンス)に書いたのでそちらで。
https://misskey.soda-net.com/notes/9bkpns18xr
# 民族(グループ)に属すること
## 民族と教育
『ブルースだってただの唄』p.16
ジュリエットの声、やわらかい声。その声で彼女は、〈教育〉という罠について語る。彼女自信は高等教育を受けたが、教育に幻想をいだかない。教育さえ受ければ、という神話を信じない。教育は、自己のなんであるかを見えなくしてしまう、洗脳ということばは使いたくないが、やはり洗脳のようなことをする、本来の精神のたからを中和してしまう、と彼女は考える。
『ブルースだってただの唄』p.15
彼女らは黒人の独自性の持続と、独自性が崩壊したり侵蝕される速度のせめぎあいをじっと見つめていた。その彼女らの視線は、にほん列島に生きる少数者に、同化が答えです、といって疑うこともなかったわれわれにほん人を撃ちはしまいか。
臨床心理医のジュリエット・マーティンは、アメリカにおいて教育は、白人の価値観=“この社会の価値観に同化することを拒否しない”(p.19)アメリカ合衆国の理念に同化させる側面があることを指摘する。
多くの黒人は、奴隷としてアメリカに連れてこられる以前の自らの世界を見失っている。奴隷制以前の己の過去を知らなければ、未来の展望を考えることもできない。過去も未来も考えることができない人には“〈いま〉と〈ここ〉”(p.31)しかなく、その〈いま〉と〈ここ〉が悲惨なものであれば、かれらは悲惨な人生を変えることができず、貧困と暴力が構造として固着する。
〈いま〉と〈ここ〉以前の自分が何であったのかを知らしめるのは、己の民族アイデンティティであると、『ブルースだってただの唄』で生活史を語る黒人女性たちは語っていた。彼女らは自らの肌の色と、血族を大切にする家族感と、キリスト教徒であることに誇りを持つ。
ここで必要なのは、すでに社会に敷かれたマジョリティの価値観に完全に同化しない教育、そして自力では変えられない生まれ持った属性を思い出すための「教育」だ。
『ブルースだってただの唄』のアメリカ黒人女性たちは、黒人の内面世界の独自性を主張する。
『RRR』もまたインドのアイデンティティを鼓舞する映画で、ここは「ナートゥ」を踊るシーンを例に、民族アイデンティティの誇りを描写する。
*『RRR』の解説は詳しい人がたくさん描いているので、私は編纂された知識をタダ飲みするだけ……。
以下はぬまがさワタリさんによる記事を参照した。
地球最強の映画がここにRRR。『RRR』感想&レビュー
https://numagasablog.com/entry/2022/10/27/175217
私が要点と思った箇所を箇条書きする。
- 『RRR』はインドのナショナリズムを鼓舞するが、ヒンドゥー至上主義に陥らないよう注意深く描こうとしているようだ。
- ビームは少数民族ゴーンド族の出身である。
- 序盤のビームはムスリム一家のもとで身を隠している。
- ヒンドゥー至上主義を表すサフラン色の使用は控えているらしい。
- ラーマの武装(弓)はほぼ神話の時代(同監督の『バーフバリ』や、神話『ラーマヤナ』)の英雄の見た目をしているが、赤色に近いオレンジ色の衣装をまとっている。
- 「ナートゥ」のシーンで、イギリス人が「スウィング」を西洋文化であるように語っている様子に眉をひそめる黒人ドラマーの描写。この描写を通じて「ナートゥ」のシーンのテーマが「西洋 対 インド」ではなく「白人男性 対 有色人種と女性(抑圧される者たち/自らの世界を持つ者たちの連帯)」の構図になった。
*注意:インド映画と呼ばれて輸入されるものの地域差・またインド国内(と国境)のあまたの民族の差異について、私はまったくの無知である。
「ナートゥ」のシーン、そして『RRR』のストーリーを通じて、『RRR』はインド人が何であったのか、インドの過去を力強く脚色することで、「インド人」の民族アイデンティティを鼓舞し、インドのアイデンティティをインドの外の世界に知らしめる作品だった。
*「インド人」という曖昧な表現に注意。「インド人」の枠から外れるインド国籍を持つ者たち。
S.S.ラージャマウリ監督は「ナートゥ」のシーンを描くことで、エンパワメントの対象を「インド人」からより広げて「有色人種と女性(抑圧される者たち/自らの世界を持つ者たちの連帯)」も捉えようとしていた。
では、『RRR』でエンパワメントされる有色人種=日本人であり、
イギリスと同じく帝国主義の過去を持ち、日本列島に済む少数者にいまも同化を強いる日本人であり、
そして集団(民族)のなかにアイデンティティを見いだせないが、己が日本人であることに疑問は持たない、日本列島のマジョリティである私は、いったいどうしたらいいのか。
【メモはここで途切れている】
@munmoon52 ちなみにどのシーンが好きですか? 感想、よかったら読みたいです👍
決して身内贔屓ではなくクオリティは本当にステキなのでオススメ
洒落た雰囲気で明るくほろ苦いハッピーエンドの短編集が読みたい方はぜひに
RE: https://misskey.soda-net.com/notes/9brush7srv
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他のインスタンスからリノートするのはどうやるん
例えばioからなら一旦ioの垢でRN→自分のホームからioの山川をRN?
小町紗良さん @srxxxgrgr がMisskeyデビューしたということは、小町さんの誕生日に小町紗良誕生日記念ピックアップガチャを作った話をしてもいいんですね #創作 #一次創作
ガチャのページ
https://libsy.net/komachi2023
実装時のブログ記事(経緯の説明)
https://libsy.net/blog/2910
お客様からの感謝の声
https://note.com/srxxxgrgr/n/n4828c7319610