インタネットというのは元来ニュートラルなものであって、それを人がどう用いるか(結局インタネットそのものが悪とか善とかではなくそのインタネットを用いている人の人間性が滲むだけである、我々がインタネットの悪意とか言ってる現実に発生している悪意も結局は人間の持つ悪意であり悪意を向ける先に人がいることを認識しようが現実でいじめとか普通に起きてるのと同じようにかわらない)という方向のことを言いたかっただけです(あんまりTLの文脈とは関係ないかもしれん)(音楽の力!とか音楽とは美しいものだみたいな言説に対して、いや音楽というものになにか美しい力なんてものはない、正確に言うと音楽と人が呼ぶ音の羅列は人をどの方向にも感化させる力があるが、その方向を位置付けるのは、その音楽を用いようとする人間である、つまり、その音楽を用いている人間によって音楽は善にだって悪にだってなれるし結局のところ音楽とは何か神聖なものなのではなく人によって利用されるもの―悪にも正にも利用可能な人間性の伝達手段―でしかないみたいなこと(伝達される側の音楽聴取時の感情は社会的に構築されたものである論は言いたいこととはそんなに関係ないので省略する))