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一度YouTubeチャンネルが消えることで銀の盾がもう一度届くの謎

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ぐぬ管さん、喋っていることはロジカルだけど、そのコミュニケーションのやり方が非常に自分のスタイルを貫徹する感じで相手の事情や背景や文化の事情に一切容赦なく、そのコミュニケーションスタイルで理解されない相手は多いだろうということを感じてしまって、なんというか、苦しい…

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正しさに妥協しないのは一種の美徳だとは思うけど、今の社会には大量の正しさが存在していて、全部について矛盾なく正しくいることは難しい。自分としては、見えている正しさだけで突き進むだけでなく、自分に見えていない正しさのことだって想定して慎重に状況を観察して行動するのが賢い振る舞いだとは思っている。けど、そんな賢い振る舞いができる人間なんて、いないんだよね。見えてない正しさを避けることができる人間はいない。そういう点では、「政治から逃げることはできない」というのは正しいんだけど、そのロジックを、自分の見えている正しさを他人に押し付けるために使うのは、自分では他人にとっての正しさを引き受けていない点で、フェアではないと思う。しかし、完全にフェアに振る舞えるほど賢い人間なんていない。フェアでも正しくもないなかで、人間はうまく社会をやっていかなければいけないっていうことだけど、まあ、友達が少ないとか、仲間はずれにされるとか、そんなのは本当に重要な問題なのかっていうと、実際そうでもない気がする。人間の文化も能力も多様だし、どう話したって分かり合えない人間はいる。俺は分かり合えない人間がいること自体は当たり前のことだと思う。ただ、人間同士が分かりあうことによく機能するシステムと、分断することに向かうシステムと、どっちを使いたいかといったら、やっぱり分かり合えた方が少しは嬉しいかもねってぐらい。ただ、そういうシステムは、完全に無加工な人間の思想のぶつけ合いで実現するわけでも、単純なワードフィルターで実現するわけでもない。そこにはトレードオフがある。それで、色々な尺度から自分にとっての正しさを実現する。ということは、他人にとっての正しさを無視することでもある。それでも繋がれないのは寂しいから、違ったポリシーの間で連合しようとする。それは、自分にとっての正しさを部分的に曲げることであるかもしれない。でも、それって、それこそが、コミュニケーションだよね。

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まあ本当のコミュニケーションなんてダルいからみんなやりたがらない。コミュニケーションは苦痛だし、脳にとって快楽度の高い情報を選択して消費するほうがいいもんね…

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「みんな」っていうときはマジョリティのこと指していってる

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自分はわりと社会性のない人間のことが好きなので、社会性のない人間と付き合いがあると社会性がないと認定されると、困る…

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社会性のない人間に対峙した時の緊張感を恋愛感情か性欲かなにかと混同しているだけなのかもしれない

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false positive

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@gnusocialjp まさに、そのアサーティブ・コミュニケーションを正しいと信じて貫徹する部分が、時に理解されない部分なんだろうな、と思います。自分はぐぬ管さんの主張は理性的だと思うし、自分はそういう種類のコミュニケーションをやってもいいんですが、一方で、そういうコミュニケーションの方法自体が苦手な人も多いということを言っているわけです。それはどちらのコミュニケーションの方が優れているとか正しいとか、そういうことではなく、単に文化や多様性の問題だとは思うのですが、自分としては、ぐぬ管さんが正しさを主張するのもわかる一方で、正しさを主張される側の恐怖感も分かってしまい、苦しさを感じるのです。基本的に、人間は自分の間違いを指摘されるのは嫌に感じるものだろうと思います。十分に理性的で、嫌でもそれが正しいと納得すれば行動を直せるとは思いますが、よく知らない人間からよく理解できない理屈で誤りを主張されるのは、基本的には怖いです。ぐぬ管さんは相手を尊重しているとは思いますが、それでも、表現には、怖い部分が残っていると私は感じます。裁判による解決は、理屈としては正しくても、多くの人にとってはそれ自体が怖いです。正確で執拗な記録は、それ自体が怖いです。徹底的な公開性は、怖いです。ぐぬ管さんが信じる正しさそれ自体に、多くの人が怖いと感じるものが含まれているという点の不条理さに、私は苦しさを感じます。もしかしたら、やり方を工夫すれば、そういう種類の「正しさへの恐怖」は本質的なものではなく、回避可能かもしれません。ただ、今のやり方では、うまくいっていないように見えます。

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@gnusocialjp 理性を基盤にコミュニケーションをとる人間はマイノリティかもしれないですけど、そういうマイノリティが簡単に繋がれて、孤独にならずに済むインターネットのある時代に生きられて、本当によかった。それは、技術がコミュニケーションに寄与している、誇らしいことだ。そう思います。少なくとも、今、私とぐぬ管さんはこうやってふつうに返信しあっていますしね。

2023-04-26 03:30:05 𰽔㆑𱟛 :verified:の投稿 w12t@tl.xn--7fw.xyz
Misskey.ioというパーティー(むずかしいはなし)
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結局論争の本体が見えてこないので細かいことはよく追えていませんが、Misskey.ioが「ゲイ」という語をフィルタしていた件で、それに対する運営の対応がどうなのということで炎上していました。

その初期対応が差別なのかといえば、まあまごうことなく差別にあたるのですが、個人的にはむしろ、たまたま今回差別案件が発火点になっただけで、補助線はもっと別のところに引けるんじゃないかと思っています。

これは方々で発言されているので事実だと思うのですが、Misskeyというソフトウェアは「楽しいSNS」となることを目指して開発されていて、Misskey.ioは実質的な旗艦サーバーとしてその機能をフルに展開し、なおかつ非法人(?)としては稀にみる労力と資本を投下して、その理想を実現すべく運営と管理が行われ、事実それはかなりの程度、目的を達しているようにみえます。

で、本題は、その管理方針が完璧か欠陥があるか、いや完璧じゃなくても頑張ってるんだから文句を言うな、などという話でもなく、そもそも「楽しいSNS」を達成するというのはどういうことかについてです。

Misskey.ioを開くと、旺盛な創作意欲や奇想天外なネタ、果てはくだらない投稿でさえも盛り上げるリアクションの数々が押し寄せてきます。この一種強烈なアゲのバイブスは、きめ細かいモデレーションとユーザーたちの積極的な協働に裏打ちされているのは間違いありません。

それは自然な楽しさなのでしょうか?もちろん、サーバー上を流れる圧倒的な創造性の発露をみればわかる通り、そこには無限の自発的な自由さに満ちみちています。それを奨励する雰囲気を醸成する一方、楽しさを阻害する要素も陰に陽に抑制されています。前に、Misskey(.ioに限らず)で申し訳なさそうに「ここで言うことじゃないけど」と、病みノートをつぶやいている人を何人か見たことがあります。それも人間のよくある感情のはずです。ですがそうした「潜在的に人を不快にする要素」について、モデレーション上もメッセージ上も、予防的に排除しようという雰囲気を感じられます。そう考えると、.ioというのはかなり「縛りの多い」場所、ある意味「気を使う」場所とも言えます。しかしそんなことはない、全く制約のない世界のように感じている参加者は多いと思います。それはどういうことなのでしょうか。

実のところFediverseは新参者なので、昨年前半以前の状態は詳しく知らないのですが、Misskey.ioが作ろうとしているのは、永遠に終わらないパーティー会場のようなものに思えます。いつ行っても楽しくて、できることなら帰りたくない、それでもいつか帰る時間がやってきて、そしてまたすぐに戻ってくる、そんな場所です。そこは楽しさが得られる場所なだけではなく、実は楽しさが暗黙のドレスコードでもあります。「Misskeyに来てまでわざわざ言う必要はない」が定義できるのは、外の世界にいくらでもあるというからという前提に立っています。たとえそこがどんなに嫌でつらい、できればなくてもいい場所であっても、否が応でも存在する以上「楽しくないもの」を捨てることができる、その外部性に依存しているのです。

そうすることで、Misskey.ioは「いい人だけの国」となっています。その優しい世界で、みんなが協力してどこよりも煌々と輝く壮大なキャンプファイアーを作り上げる、貢献主義的で素朴なユートピアです。しかしそれはちょうど努力が誰にでもできるわけではない才能であるように、救われる人と救われない人をはっきりと切り分ける「強い思想」でもあり、汎用的な最後の人格の拠り所とはなりえない宿命を孕んでいるように思えます。

なので、「ただ自分でいるための場所」を求めている人にとって、そもそもそのような環境は構造的に最適ではないのかもしれません。Misskey.ioが一つの居場所のあり方を提示しているのと同じように、そこからこぼれ落ちるめんどくさい奴ら、おもんない奴ら、昇華できない思いを抱えた奴ら、進捗はないのに深夜に怪文書を書いている奴らにも、相応の祝福が与えられるといいなと思っています。

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大谷の「次は君」、二刀流じゃないと使いこなせないのがエグい

2023-04-28 00:59:15 W3C Internationalization, i18nの投稿 webi18n@w3c.social
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Updated article: How to use Unicode controls for bidi text
w3.org/International/questions

This article looks at how content authors can apply direction metadata to bidirectional text when markup is not available. It was largely rewritten to incorporate more up to date information and improve the examples.

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2023-04-27 22:54:29 てらモス🆓の投稿 termoshtt@mstdn.jp
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2023-04-28 00:36:24 かもの:otoge_hantei_pgreat:の投稿 platp3@misskey.io
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持続可能な社会を実現するために、逆説的に、みんなある程度喧嘩をした方がよい

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みんな仲良く喧嘩して

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メモリ増やしてインスタンス再起動しました…

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個人インスタンスをもっと安く運用したい、どうすりゃいいんだ

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発信と受信で同じシステムを使うのは効率的に運用するのを妨げる気がする、直感だけど

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他のインスタンスから送られてきたデータを真面目に全部記録する必要はなく、古いのはどんどん消してくシステムでもいい気がする。

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それはそれで面倒くさいか…

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ActivityPubの仕様を満たしつつ、リソース消費を最小化したシステム、作れないかな…

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というかツイッターもどきの使い方しかしてないのもったいなくて、もっと色々なシステムがActivityPubでメッセージ送り合ったりしてよくて、たとえばIoT機器からのメッセージを中継するインスタンスとかあってもいいと思うんだけど、誰か試してるのかな、誰かやってると思うけどな

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メールが実績あるのにわざわざActivityPubやる必要ある?で終わってしまうかもしれない…

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経済的な合理性がない!

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Webって自由で開かれているように見えて、実際には力でクローラーを走らせて全文検索できるようにしている構造があって今のWebの状態になっているわけで、じゃあ検索のない素のWeb(そんなものはないけど)を誰もが使いたがるものなのかっていうと…

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全文検索によって晴れ渡ったサーフェスWebと、検索が存在せず不透明なディープWebとがあり、まあディープWebはディープWebで存在しつづけているけど