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Server ヘッダとトップページと index ページで矛盾塊サーバ作りたい (?)
index ページというのは index.html とかがないディレクトリにアクセスしたときデフォルトでファイル一覧を表示してくれるアレです
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ファクトチェックされることを検閲だと思う事自体がそもそもの間違いだと思うよ><
「ファクトチェックという名目で検閲が発生したらどうするのか」という話をしていそうなので根本的に噛み合ってない
まあ権威や権力との向き合い方は人それぞれですね、公的機関への不信しかり大資本への不信しかり
時間無さそうなので本題は避けるけど、
それこそ不信を持ったら、報道機関の報道内容でも政治家やらなんやらの発言内容でも、よりソース側に近い詳しい情報(たとえば研究に関する報道であれば論文とか、社会調査に関する発言なら元の調査データとか)を探してきてファクトチェックしまくればいいじゃん?><
そこで「ファクトチェックすればいいじゃん」で済ませてしまうなら、べつにプラットフォームが権威として特定の情報を優位に扱う必要なんてなくて “草の根ファクトチェック” 情報を従来通りシェアしあえば十分である (それで批判可能性は担保されたと言える) のでは?
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/113824796998311082
たとえばこれも、非公開投稿でない限りはブロックしようが何しようが外部から「ファクトチェック」は可能なわけで、ブロックしない動機として理屈が成り立っていないように見えます
巨大プラットフォームにおける「ファクトチェック」が問題とされることについて考えるなら、批判可能性の話だけでなく「権威付け」をどのレイヤーで行うかという情報押し付けの非対称性は避けて語れないと思います (もっと古くの文脈に繋げるなら推薦の「アルゴリズム」の問題からずっとそうだった)
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/113824832406397371
受け手によってはマスコミも UGC プラットフォームも場合によっては政府も「中立性に信頼がおけないが、人に『私は中立公正です』という顔をしながら情報を押しつける人」に見えているわけで、だからこそその権威の使い方を問題視されているのでは?
問題の本質はファクトチェック可能性そのものではなく「中立公正であるという主張は非対称なパワーを使う言い訳としてどこまで許容されるのか」なんじゃないですかね
非対称なパワーの存在を無視してしまうなら、たとえば公式な「facebook_factcheck」アカウントなり「twitter_factcheck」アカウントなりがファクトチェックして回れば済むわけで (それ自体も賛否あろうが)、 特別なシステムなんて最初から必要ないじゃないですか
便所に住んでる人がいるどころか社会が便所に取り込まれつつあるから便所の落書きももはやパブリックですよ
これに関しては、ファクトチェックを受け入れるって話であって、ブロックしてたらファクトチェックによって信頼性を向上させる輪に入らないじゃん?><
指摘が正しければ「間違ってました><;」だし、指摘の方がおかしければ、さらにそれを指摘できる資料を持ってきて指摘に対する指摘が出来る><
そうしなければ「互いに矛盾する意見が複数あってどれが正しいかわからん」になっちゃう><
ファクトチェックを「受け入れる」とは「ファクトチェックを可能な状態にしておく」であって「どこの馬の骨ともしれない誰か潜在的敵対者によるファクトチェックの結果を真実として受け入れる」ことではなくないですか?
むろん「『ファクトチェック』に異論があるなら議論で反発しろ」みたいな話になるんでしょうけど、それはファクトチェックとはひとつ別のレイヤー (双方向の議論) の話ですよね
オレンジは、ファクトチェックの繰り返しによって、最初は表面的な定法だった所から、より詳しい情報が集まっていくモデルで考えているので、元発言もファクトチェックも各々言いっぱなしでは、誤りの訂正がそれほど進まないと考えてる><
まさにそこですよ、ファクトチェックの繰り返しにあたって「どの『野良ファクトチェック』あるいは『権威的ファクトチェック』を集めてくるのか」という問題はシビアに考えるべきだし、プラットフォームはその傾向を完全に制御できてしまう
そもそもこれは「効率的にやるなら」の話であって本人抜きでもチェックは非効率ながら可能な場合は多いと思いますが、まあそこはさておきましょう
ひとつの「真実」の座を、現象としての真実そのものの参照ではなく真実への「言及」から集める必要がある以上、集める人はそこにバイアスをかけられるわけですよね。
で、「草の根」でやるならそのバイアスにも多様性がありうるからまだマシだねという話に「プラットフォームに権威としてやってもらえば全部集まるじゃん」と返してしまうのは、バイアスの可能性を無視してプラットフォームの善性を無条件に信頼しているのとほぼ同じに見えます
プラットフォーム公式ファクトチェックのバイアスに対して「草の根で対抗」すればいいという話になるなら、最初から全部草の根のほうが中立性の担保として安全側じゃないですか? 「公式」チェックという、それそのものがチェック対象な (しかも公式は自身を無条件にファクト扱いするであろう) デカい声がひとつ増えただけになってしまうし。
プラットフォーマーが用意する『専門家』によるファクトチェックが完璧かと言われたらそうじゃないと思うし、だからこそオレンジも報道やら何やらで専門家の言を鵜呑みにするんじゃなく調べまくって「どこが専門家なのか!?><# 」ってやってるわけだけど、
そういう、証拠に基づくというか証拠を中心としたファクトチェックをして、既に提示された証拠と矛盾する証拠があるならばそれも出せばいいと考えるけど、
単なる投稿がフラットにあるSNSの構造では、証拠の情報が含まれる投稿とそうじゃない投稿もフラットになってしまうので、うまく機能しないであろうし、現状のSNSが単なる人気投票になってるのもそこかも><
つまり「フラットな人気投票 (無視することはできる)」と「(政治的あるいは思想的な偏りや倫理の欠乏が指摘されている) 権威による情報集約代行 (押し付けられるが無視することはできる)」のどちらがマシかという話になるわけですが、そりゃ意見纏まらなくて当然じゃないですか?
どちらかが一方的に有力というものではないでしょう、明らかに
どちらの立場にも一理あると思うし、そしてどちらの立場も全面的な肩入れには相当しないとも思う
行き違いになったけど、つまり単なるSNSの投稿では、証拠の情報を含むファクトチェックと、なんの根拠もない情報がフラットに扱われた上で、さらに人気投票によって流通度(?)が決まってしまうので、フラットな環境での草の根では(実際には人気投票によってフラットではないので)うまく機能しない><
フラットで機能しない場面があるのは良いとして、同程度には権威的ファクトチェックも機能しないリスクがある (そしてその場合の有害性が懸念されている) んでねえの、という話です
目くそは食えねえが鼻くそなら食ってもいい、みたいな人はいると思うしその価値観は尊重するが、誰もがそうだとは思わないし私もそうではないです
そもそも「証拠の情報を含むファクトチェック」なんてなくて「証拠の情報であると主張する何かを含むファクトチェック」しかなくない?
ファクトチェックとラベルが付いているだけでその信憑性が相対的に高いかのような扱いをするのは普通に妥当でないと思う
wikipedia のフォーマットで “参考文献” への参照とともに作られた嘘記事はたくさんあるし、その訂正が拒絶されることもあるし、そしてそれは「ファクトチェック」についても同様で、ファクトチェックの形式とともに嘘をそれらしく主張することはできる。
この点で「フラットだと証拠がなくて集約型ファクトチェックだと証拠がある」みたいな主張は根本的に正しくないようにみえる
より詳しい情報を集めて、より誤りを減らしたいのか?><
それとも単なる人気のコメントの主張を優先的に扱いたいのかで話が違ってくるし、
オレンジがファクトチェック云々言ってるのは、人気者の無根拠な誤った発言が、根拠のある情報によってより実際の証拠がある情報群に変わって行かなければ、(トートロジーだけど)誤りに基づいて誤りに向かって突っ走ってそれを止める方法がなくなるから><
理想はわかるけど、結局「根拠がある」「誤りでない」は誰が判定してるの、判定しないで成り立たせられる概念なの、という話なんじゃないですか
その判定者をどう信頼するんだ、大して信頼しないならそのへんの有象無象と大差ない、という話を最初からしてるじゃないですか
判定者の主張の「ファクトチェック」を同じファクトチェック基盤上でするんですか? 出てくる結果やプロセスそのものに疑義を問うているのに、その上で?
ちょっと違う(だいぶ違う)けど、wikipediaがあくまで引用に基づいて記述される原則になってる(実際にはソース無しラベル多いけど)のみたいな感じに、根拠が明かされてるのかが重要で、根拠が明かされなければ根拠を検証できないじゃん?><
検証できるか否かこそが重要かも><
オレンジの考えをあえて完全に誤解されるように、あえて実際と違う表現で言うならば
「根拠が明かされていない発言が排除されるようにしたい><」
かも><
(正確には、『根拠が明かされていて根拠の検証が可能な投稿』とそうではない投稿は別ものとして扱えるようにすべきみたいな感じ><)
「根拠の検証が可能 (だがまだ検証されていない、または嘘の検証報告が寄せられている)」が溢れて、却って「形は本当らしいが結局どうなのかわからん情報」が溢れるだけになりそう。
セキュリティ文脈でいう「偽りの安心感」を与えているだけに。
氏の理想とする世界の姿はなんとなく見える気がするけど、個人的な感想としては「権威や権力を信用・信頼しすぎ」かつ「民衆の権威に抵抗する能力を過大評価しすぎ (あるいはコストと代償の評価が軽すぎ)」かな。
まあそこはそれこそ世界をどう見ているかの話なので合意に至るような話でもないんだけど。
試す価値があるかといえばある、しかし人々に enforce されるべきかといえば (少なくとも現時点では) むしろ反動が怖い、実験するならもう少し狭い範囲からやった方がいいんでねえの、くらいな感想はある (まあ 𝕏 をもって †狭い範囲† での運用が理想通りいきそうだと考えたのかもしれないが……)
権威が介入せず可能なことにはできるだけ介入させない方が良い (させると力や能力の非対称性で問題が複雑になり人々の世界認識が追いつかなくなりうる) という考えはある
むしろ「検証できる環境」の担保はネットワーク中立性の担保によって行うのが妥当であり、その上に容易に検閲可能なプラットフォームを乗せても問題を複雑にしているだけで状況はあまり良くなっていないという見方です
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amazon カードの改悪する前でゴールドにしたときとか、amazon で登録されてすぐに使えるのは勿論なんだけど amazon に表示される一部伏せてある数字とメールで通知される一部伏せてある数字を組み合わせるとカード番号がフルで判明して面白かった
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風呂に入って後悔した人は風呂に食われて存在を消されてるだけだよ。生存バイアス。 (?)