アマチュアで物語を書いていることへの何か根源的な尊敬がある
プロで書いていても好きなのは好きだけど、アマチュアはそれそのものがどうであるかみたいなのとはまた一線を画した良さみたいなのを感じる
Twitterで喋ると字数上限短すぎてもうちょい短くしなきゃかな……と脳内で削ることが結構あって、うお〜〜〜こりゃ曖昧なものを繊細に言語化するにあたっての癌だぜ〜〜〜〜〜!!!!!となった Twitterって自分語り向いてないかもね(今更)
140字って短えわ かなりの量のニュアンスを削っていかないとうまく収まらなくて、結果言い切り型だったり極端だったりインパクトが強かったりの言葉ばかりが流行ってしまうし、みんなそういうのを見てしまう
個人の思いの薄くて細い部分全部なかったことにされちゃう
字数を制限することで想像の枠を広げる短歌とかの芸術と違って、Twitterの文章ってなんか……「すべてこの文章に表現されているわけではない(から各々補足して読んでね)」が効かないし、みんなあんまその前提で読まないじゃない 今更ながらやべ〜〜〜
140字ってちょうど「語り手が言いたいことを漏らさず全部書いてる」ように勘違いしやすい字数だったりしないか
投獄されていた凶悪犯罪者たちが色々あって公安とかの協力者になって事件を追うみたいなやつ、テンプレ~~~~~テンプレだからこそ良い
まあ朝早くに出てそのまま飛行機や空港内にいるだけだから大丈夫とは思うけど 親に迎えに来させるのも憚られるな
少しずつフレキシタリアンを始めてもいいのかもしれないなと思ってきました ちょこちょこプラントベース系を食べてみてはいるけど普通にうまい
水出しコーヒーは一回で粉を60g使うしそれを2日くらいで消費するのでエグいくらいすぐなくなるな 水出しアイスティーのはっぱとかも買うか
ボトルを洗ったりする手間をかけて冷たい飲み物を作るという行為が割りと嫌いではないなと思う 俺って手間のことが好きなのか?
ティーにもカフェインが含まれるじゃん理論ってあれ結局何が正しいんだろうな 「含まれるけどコーヒーほど気にする必要はない」と解釈してるんだけど
へー カフェイン量自体は半分くらいの上に、タンニンの働きで更にマイルドになってるって感じなんだね
カフェインメモ
・成人の1日カフェイン摂取許容量は400mgくらいらしい
・コーヒーのカフェインは60mg/100mlくらい
・お茶類のカフェインは大体コーヒーの半分以下
・お茶に含まれるテアニンがカフェインを更にマイルドにする
・カフェインは温かいとよく出るので、気になるときは水出しにすると良い
・玉露のカフェインはエグい(コーヒーの3倍弱ある)
・モンエナのカフェインはコーヒーより100mlあたりの量は少ないけど、1本の量が多いので結局いっぱい摂取することになる(1本142mgくらい)
・一瞬話題になったボスのカフェインコーヒーは1本200mg(馬鹿)
ミーム化した言葉や言い切りの口調で強いことを主張するのがクッキー型のようで、端っこのいらない生地がそれを言っている本人からパージされていくのが苦手だから、もっとこう紙粘土式がいいな 全部の粘土を使ってオリジナルの変なオブジェとか作ろう
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どういうことを考えてるかみたいなのを根掘り葉掘り聞きたいんだけどマジで人間と話すのが下手だし性格もヤバいから打率9割くらいで迷惑をかける どうにかならんか インタビュアーになろうかな
プロセカのバーチャルシンガーたちと人間のキャラクターたちの違いを見ていると、キャラクターを”人間”にするというのは歴史があってこそかもな、みたいなことを考える
記憶の連続性、過去の厚みがあること、それをもってして未来をどうするか導き出せること、のような
バーチャルシンガーたちは意図してそういう”人間”としての厚みを排しているんだと思ってる 同じ世界に生きている存在でないからこそ安心して相談役に配置できるし、現実に生きている方のキャラクターたちは自分たちの悩みに集中できる
それは現実とフィクションの構図を丸っとフィクションの中に持ってきているんだろうなあ フィクションのキャラクターたちは現実にいないからこそ現実に存在する者に寄り添うし、逃げ場になれることを提示している
フィクションに逃げ込んで勇気を貰えば現実の隣人と手を取って苦難に立ち向かえるみたいな、そういう結構若者向けなテーマがあって、俺はそういうとこが結構好きだ
カードの請求額のキリがよかったから(下3桁がゼロ)、おお!!!って思ったら1回だけ使ったカードのやつだった なーんだ
クレカ、便利に使えれば券面なんてどうでもいいじゃんwと思ってたけどそうでもないな かっこいい方が嬉しい……
もちろんそれを上回る不便さだったら困るけど、多少の差異だったらデザイン面を取るのってアリだな……と思った
両者はトレードオフではないし0か100でもないからバランス次第だけどね 何事もほどほどっつって
俺は多分一人で生きてたら機能性を最上位とする嫌〜なネット民になってたので影響を受ける環境で良かったと思う 嫌〜なネット民になりたくないから……
ミリシタとかの劇中劇、情報が足りなすぎるけど推察できる程度のテンプレさがあって、二次創作をするにはちょうどいいくらいの分量が用意されている
ちょうど誰でも行間を補えるようなくらいの情報が提示されている 面白 二次創作用原作の最小公倍数?
映画1本かワンクールのアニメくらいの分量でいけそうだな~~~~っていう 感じの う~んちょうどいい
見たことないけど見たことある、ちょっと見たことないやつがオタクにとって最も気持ちいいかもしれませんね 匿名ラジオでも言ってた
しかしフィクションお父さんの「不器用で口下手だけど本当は子供のことを想っている優しい人」率ってすごいよな 何がそうさせるんだ
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フィクション不器用お父さんはなんだかんだ子供のことをわかってくれるとか大事に想うとかがついてなんとなく今までの支配的な感じとか態度の悪さが有耶無耶になるけど、こういうなんか嫌だったな〜の雰囲気って子供の人生の後からついてくるよな
育児にあんまり参加してない父親が子供のことをわかれるかと難しい気がする 少なくともうちはそうだったので
なんかこう わかりやすい好きな食べ物とかを擦るだけで、日常生活上でどう考えたりするかみたいなのがあんまりわかってなかったみたいだから、まあ世話する時間が短けりゃそうもなるよなと思う
だからフィクション不器用お父さんが実態に沿わない割に物語の人物像として人気があるのは不思議ではあるんだけど、フィクションのお父さんからフィクションのお父さんを産む連鎖でもあるんだろうな
偉大な父の背を追いかけるロマンみたいなのもよくあるけどいまいちわからん けど偉大な人の背を追いかける構図自体はいいなって思うこともあるから描写次第かしら
自我を形成するにおいて通った作品に偉大な父描写が少なかったかも 逆転裁判にはちろっとあるけど初期は呪いとしてはたらいてることが多かったな
霧間誠一と霧間凪の関係も好きなんだけど、なんか親子であるという意識が薄い感じはあるかも 繋がりの根拠が血ではないというか
最近は精神疾患患者は狂気的な加害者になりやすい、みたいな偏見を強化してる作品がうーーーんになってるから、TRPGのプレイ動画を途中で切ったりしてうーーーーーんになったわね
加害的で恐ろしい人物を「自分たちとは違う異物」みたいに描くのは、属性によって排除することで安心する社会の縮図を見るみたいで居心地が悪くなってきちゃった 加害者はかなりの割合で”自分たち”から出てくるので……
でも公園とかって火気禁止だったりするからやりたかったら保温ボトルにお湯持ってくしかないのかな
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手付きとしてマジなんも考えず「こんな異常なことをする奴は……精神疾患でしょ!」と無邪気にやってる感じのものばっか観てたからそういう疾患について考えるが故、的なのも観てみたいかもな
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世界の敵要件の中に「他者との対話によって己を変化させることがなくなってしまったから、あとは世界を変えるだけの状態」があると思ってて、それって何かと言うと変化しない、つまり「完成した状態」であると言えて、ブギーさんの「最も美しいときに殺してくれる」という噂の最も美しい時というのは、完成しているから、とも言えるのかな、みたいなことを考えました
普通ということはそのままでいるということで、なので変化をしない普通の人は世界の敵であるはずだけど、そこらに蔓延ってる″普通″に見える人々が世界の敵ではないのは、変わらないように見えてみな少しずつ変わりながら生きているのだ、という希望的観測であるとも言える
水乃星透子は幼い頃に霧間誠一と対話し変化をしたが、高校生あたりの描写では周囲の人間に影響を与えるばかりで、影響を受けなくなりそして自死することでその変化の道を断った