マンションの廊下を歩いていると、昼間だというのにGがカサコソと走っており、暖かくなるのは良いことばかりではないなと思いました。
マンションの廊下を歩いていると、昼間だというのにGがカサコソと走っており、暖かくなるのは良いことばかりではないなと思いました。
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英語をネイティブとしない日本語ネイティブにとって、英語やその他の言語をみずから読んで理解するか翻訳機能を通じて読むことはあっても、きっとその逆はほとんどないよね。私なんかは日本語以外の言語でも、おもしろそうとか役に立ちそうとか思えばフォローしたり投稿の共有をしたりするけど、その逆の経験は皆無だし、それは私が無名のユーザーであることを考慮に入れてもだいたい当てはまっていると思うんだよね。
機械翻訳がまだ十分でないとはいえ、以前はほとんど使いものにならなかった日本語と各国語との翻訳でも、実感としては意味をくみとってネイティブ言語で理解するのにほぼ支障がないレベルには進化している。それにもかかわらず日本語で書かれたものをフォローする非日本語ネイティブのユーザーがほとんどいないのは、翻訳で相互の通行が可能なのに事実上は一方通行になっているわけで、言語と結びついた見えない権威、それに基づく内容の評価みたいなものがあるよなと。つまり、日本語で書かれたものは価値がないとかつまらないとか、あるいは価値があるとしても英語で十分なのでわざわざ読む必要はないとか。
"日本語で書かれたものをフォローする非日本語ネイティブのユーザーがほとんどいない"のは、ツイート内容の翻訳以前に、検索したときに日本語情報にほとんどリーチしないことが大きいんじゃないかな。我々がググったとき、検索結果にタイ語やアラビア語なんかが出てきたとして、そこを見に行って翻訳して読むかというと、微妙なのでは。そもそも検索結果に出てくる言語を日本語と英語くらいに設定しているユーザーが多い気がする。
Twitterで絵を投稿するようになってわかったのだけど、外国人ニキにめっちゃフォローされる。投稿は日本語だけなのに。ビジュアルは国境も言語も越える。
前にどこかで書いた気がするけど、未来のSNSは、あらゆる外国語が自動的に自国語に変換されてタイムラインを流れるようになってると思う。パッと見ただけではネイティブなのか翻訳なのか分からない。能動的な翻訳という作業が必要なくなったときにどうなるのか、興味がある。