今日は、
1964年06月17日 Ken Keseyと14人のMerry Pranksters (メリー・プランクスターズ)がカリフォルニア州ラホンダにあるKeseyの牧場でサイケデリックな塗装に改造したスクールバス「Furthur号」に乗り込み東へ向かって出発した。この旅はKeseyの小説『sometimes a great notion』の出版祝いとして、LSDを配りながら全米を長期間旅するという目的であった。
1999年06月17日 宝島社から『別冊宝島445 自殺したい人びと』が出版される。相田くひをが「とげ」、「南条あや」、「美智子交合」を宝島社の編集へそれぞれ紹介した。掲載された南条あやの原稿は遺稿となった。打ち合わせの際に相田くひをと南条あやはリタリンとレキソタンを交換しており、このとき交換したレキソタンが『薬ミシュラン』表紙の写真に使われることとなった。2000年04月25日に宝島社文庫で『「死んでもいいや」症候群』として文庫化、2008年09月20日に宝島SUGOI文庫から『自殺したい人々』として改訂、改題し再び出版された。
2003年06月17日 アメリカ合衆国のニューヨークにあるメイシーズ百貨店9階の家庭用品売り場に約130人の群衆があつまり、1万ドルの値札がついたラグを取り囲んで販売員に「われわれは郊外の倉庫の自由恋愛コミューンに住んでいて、そのために『愛のラグ(Love rug)』を買いにきている」と話す出来事が発生する。群衆は10分間販売員と話した後急速に散った。 この出来事は事前にテキストメッセージや電子メール、ブログで呼びかけられており、世界初のフラッシュモブのひとつとされる。その後急速にフラッシュモブが流行した。 このフラッシュモブを仕掛けたのは当時"Harper's Magazine"のシニアエディターであったBill Wasikで、当時「an inexplicable mob (不可解な群衆)」と呼ばれていたとされる。この出来事はan inexplicable mobプロジェクトの3回目であり、前2回は失敗したとされる。"flash mob"という言葉を作ったのは「love rug」フラッシュモブののち、Bill Wasikの友人でブログ"cheesebikini?"の作者であるSean Savageが作ったとされる。
だそうです!よかったね!