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「見えづらいホームレス状態」、日本だと「ネットカフェ難民」や友人宅を点々としてる人とかがそうかな。車を寝床にしてる人も中には居るだろうね。
https://twitter.com/hollyhockpetal/status/1596498288072863745
「バニーガールは性的な意味を含む衣装として考案された」という歴史的経緯は分かるんだけど、では見た人がバニーガールの格好を性的と感じるのが当然か、というとそれは別問題だと思う。
「性的と感じるか否か」の感覚は人によってかなりばらつきが大きい。
Twitterとマストドンの投稿を連動させてる人もぼちぼち見かけるなー。
私は今のところ「マストドンの投稿の一部をTwitterに、Twitterの投稿の一部をマストドンに(気が向いたときに)手動でコピー」という感じでやっている。今後も自動で連動させるようにはしない予定。
マストドンにちょっと慣れてきてからTwitterに長めの投稿すると、Twitterの140字制限って滅茶苦茶タイトだなぁと感じる。
凄まじく迫力のあるドキュメンタリーだった。時々現代(執筆時点の筆者視点)に戻りながら、じわじわと時系列を辿る構成で、少しずつ表題の「滝山コミューン」の全貌が明らかになっていく。
小学生時代の筆者は、当時の作文の引用などを見ると、同年代の中でも言語化能力の高い方だったと思われる。それでも、当時の筆者の感じていた違和感の「言葉にできなさ」「語れなさ」が読んでいて肌を通すように伝わってくる。それを執筆時点の大人になった筆者が、大人になって得た知識と経験と当時のクラスメイトや教師からの聞き取りとで解きほぐしていく。
筆者にとって衝撃的な事実もありつつも、結局のところ「滝山コミューン」とは何だったのか、どうして形成されたのかについては、あくまで筆者の推測の範囲に留まっている(留めるように書こうとしている)。そのあたりに、筆者の語り手としての誠実さを感じた。
科学における「キャンセルカルチャー」論争 - わが忘れなば
https://wagawasurenaba.hatenablog.com/entry/2022/11/20/172234
科学者と科学ライターの(直接ではないが)論戦の要約・解説。
難しい議論ではあるが、私は(個別の事例はさておき一般論としては)アンナ・クリロフの立場に賛成かな。
フィリップ・ボールの言う「科学から政治性を排除するのは不可能」というのは、それはそうだろうとは思うんだけど、かといって「科学に政治が強く関わる」ことをそのまま許容しても良いのか。
これは天賦人権論の話とちょっと似たところがある。
「人権は実際には天賦ではなく国家が保障しているものだ」という主張は単純な歴史的経緯の説明としては(たぶん)正しいんだけど、だからといって「国賦人権論を基本にすべき」となると、国家が勝手に基本的人権を剥奪することが正当化されてしまう。