「"リオの大仏" 3 件」そうか3つだけか。
asahi.com/culture/news_c… 「じいじ」ってどこの方言だろうと思ってたら、なんとごく最近(2004年以降)になって普及したものらしい。
旧国の数、本当は68なのに66ということにされていて、国名を列挙するときどこか2つを省いて辻褄を合わせることさえよくあったの、かなり頭が悪い。
「○○については言及しない」という言明は、それもまた○○への言及であるというパラドックスを理由に、すべて没にしている。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1… 古くからの東区民はそれ以外の札幌市民と違ったアイデンティティを持ってそう。「わしらは隣の官製都市とは違う」みたいなの。
最近よく見る文末の「はよ」ってやつ、「なんでこの人は主題だけ言ってるの? 結論はないの?」と思うこと数回を経てようやく、「わよ」と読むのではなく「、早よ」の意であると気づいた。
togetter.com/li/498588 幸いにしていわゆる文教地区で育ったので、成績のせいで却って辛い目に遭うことはなかった。しかし大学のときの友人から、これに類した話を聞かされたことはある。
1980年代は、当時小中学生だった僕から見ても驚くほどフワフワした時代だった。「会社とは何か」とか「政府とは何か」とか、そういうことを誰もまともに考えなくても適当に生きていけたし、そういうことを考えちゃう人はむしろ「ネクラ」と呼ばれて弾圧された。