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うみねこのなく頃にはマジでめちゃくちゃすごいことをやっている怪作なんだけど、方向を間違えたような説教が続くし描写がクドいし、EP8の落とし所もそれはちょっとどうかと思ってるし(漫画版のフォローでだいぶ飲み込めたけど)、悪いインターネットと陰謀論が蔓延る今の世においてうみねこの優しい「魔法」とか「幻想」はむしろ人類にとっては有害な強い毒なんじゃないかとも思うので評価するのが本当〜〜〜〜に難しいんだよね……
メギドに出てくる話って是非を問わずわりとどれもなるほどな〜!て胸に落ちるんだけど、「振る舞い」の話だけいまいちピンと来てないとこある。通して読んだら言いたいことの意味自分なりに理解できるのかな
メギドの振る舞いの話で一番「ここらへんのことかな…?」と思うのは「エウリノームと架空のお父さん概念」なんだけど、読み方これで合ってるのかな……?て疑問。
生命がそこにいてそのように取る振る舞うとはなんかニュアンスが違う気がするんだよな。架空のお父さんらしく振る舞うというのはプリミティブな雰囲気の生命というよりは知性とか社会性の話じゃないですか?てなるからよくわからん
メギドの振る舞いの話、蛆ちゃんのエピソードを読むと「他者との関わりの中でのみ浮き出る自身の立ち位置を意識してその立ち位置と状況に相応しい言動をあえて取ること」みたいな話なのかな…?それって社会性の話…?て思うんだけど、これって特性によっては自然に出来ることじゃなくない?と思うし、メギドってそういうところが丁寧だったはずだから「ただそこにあってそのように振る舞うのが生命」みたいなオチ(?)とは齟齬が生まれるんだよな自分の中では
それとも「そうせずにはいられない(からそうする)」のが「生命の振る舞い」なのか…?だとしたらエウリノームと架空のお父さんは真逆な気がするし、やっぱここがよくわかんないんだよな…
うみねこのなく頃にってこれめちゃくちゃTRPGってやつをギミックに落とし込んで物語と上手く融合させた話なんじゃないか…!?とか思うんだけど、私自身がTRPGエアプなので合ってるかどうかはわからない
うみねこのゲーム盤と各エピソードのGM、メッセージボトルと偽書、インターネットと山羊頭、手品と魔法、「愛が無ければ視えない」、どれも概念を物語に落とし込むのがマジで上手すぎる