殉教する覚悟でなにかを信仰するなんて、わたしにはできないな
教会などには所属していないが、否定もしていない
あいまいな、ずるい状態でいつづけたいとどこかでおもってるんだろう
わたしには信仰がない
殉教する覚悟でなにかを信仰するなんて、わたしにはできないな
教会などには所属していないが、否定もしていない
あいまいな、ずるい状態でいつづけたいとどこかでおもってるんだろう
わたしには信仰がない
一般の人のしっているようなことをわたしはしらないから、
なんとなくしってそうな雰囲気でごまかし、のらりくらりといきてる
その場で一番よさそうなものをそれらしく演じてみている
だから、なにかになれない
老年期にはいり、死を前にして、アイデンティティがうしなわれ、最終的に『私』が喪失される
そのときに、
最初から『私』なんてものはなかったんだ、ととらえるか、
いや、『私』にはたしかに意味があったんだ、ととらえるか
そのふたつになるんだとおもう
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonnoshingaku1962/1991/30/1991_30_46/_pdf/-char/ja
アリウス派は一般にはイエスの神性を否定していたととらえられがち。
でもアリウスはイエスが神であることを否定していたわけではないんだよね。
ここでは、アリウス派のひとがむしろ「イエスを単なる人」とする解釈を否定している