孫六さん、ハタから見たら目つきが悪くて気位が高い闘犬だけど懐に入ると「え?そこまで?」くらい許容してくれる躾の良い大型犬になるから、その懐に甘えてどこまでも甘やかされていて〜〜
でも甘えすぎると冷たく突き放されるからライン超えない範囲を見極めながら許容されていて〜〜
孫六さん、ハタから見たら目つきが悪くて気位が高い闘犬だけど懐に入ると「え?そこまで?」くらい許容してくれる躾の良い大型犬になるから、その懐に甘えてどこまでも甘やかされていて〜〜
でも甘えすぎると冷たく突き放されるからライン超えない範囲を見極めながら許容されていて〜〜
孫六さん、「主人、ちいかわがあったぞ」って見たこともない謎のご当地ゆるキャラ買ってきそうなところがある。
ギガ食い尽くして低速になってるから刀剣乱舞のお披露目で死ななくて済む〜と思ってゲーム開くとお知らせで爆撃されて死ぬ
駄洒落で滑った孫六さんに「最上大業物なのにそっちの切れ味は悪いんだね」って追撃して落ち込ませたいんだけど、
悲しいかな、あるじは駄洒落が大好きでして…
ずっと前にお笑いライブ見に行った時、オードリー春日の雑な鬼瓦に会場で1人だけ笑っちゃった時に、俺の面白判定のガバさを自覚したんだよな
舐めるな。鬼瓦は雑にやってもなんかオモロだろ。
ムダ毛、何度毛根から引き抜いても絶対に生えてくるからすごい。
流石に心が折れると思うんだけど、頑なに初志貫徹してくる。うらやましい。
ムダ毛、自分が無駄な毛であるという認識がどこかで芽生えて良いものなのに、一向に分かってくれない。これが鈍感力。生きる力。
でも、このように生きたいと、思いますか?
ムダ毛のように生きるの、どちらかというと「生き恥」側の生き方なんだろうけど
これはムダ毛からの「どれだけ醜かろうが最後に立っていたものの勝ち」というメッセージ何ですか?
でも、ムダ毛が最後まで立っていたところで何になるんですか?
人間は文明と共に生きるしかなく、文明は美徳を生み出してしまったんですよ。生き恥に美徳はありますか?
なんかの本で「通常、生物は己の体を進化させることで種を発展させていくが、人類は道具に進化を外注することで、規格外の急速な発展を手にした」みたいな話を読んだんだけど、
一向に「生えない」という進化に到達しない己の体毛と向き合うたびに「生物の進化の速度感なんて本来この程度で、生きているうちに『進化』を実感できることなんて皆無なんだろうな」「そう思うと、道具に進化を外注した人類種って、生物としてはもう『不自然』な生態になっちまってるんじゃねえかな」とか思う。
だからなんだ。ムダ毛は生えるな。