このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
私は熱心な仏教徒ではないですが、日蓮宗の檀家の子として、仏教芸術オモロ〜と首を突っ込んだ者として学んだこと、生活や慣習の中で感じる宗教観があり その上で「選ばれた人のための救い」ではなく「(名のある誰かではなく名も無き)あなたのための救い」の約束の日があることがとてつもなく良かったね〜になり、それがこう……生活の中にあるのが……良い!となり
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
敬愛する精神科医の中井久夫先生が「精神の病からの回復は、以前と同じ状態に回復したということではない。それだと発病前の状態に戻ると言うことであり、だめだ。回復とは、発病前より余裕があって良い状態になることだ」と仰っており、本当にそうだと思った。
私の周りにも精神疾患からの回復者は何人かいる。その人たちの特徴は、言葉では表せない人格的な深みというか、味わいがあるということ。
みな入院や失業や休学や退学や離婚や前科やら、何かしらの経歴上の傷を負っているけれど、それを補って余る魅力のある人もいる。
私もそんな回復者を目指している。道は遠いが。
まぁ闇堕ちしてそのまま帰ってこないかつての友もたくさ(ry
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
私がいわゆる「自己啓発」などに批判的な態度をとっているのは、どうもあのやり方はこの比喩における直線の農業用水路を強化し、素早く大量の水を短時間で流そうとするやり方に見えて仕方ないから。
精神的に強い人にはいいけど、私のようなメンがヘラりやすい人があれに手を出すと、危険すぎる。私の場合は直線水路を目指すと、すぐ暴力的になりやすく、死にやすくなる。
小説や絵画や思想や高等数学や文学や生物学などにシンパシーを感じるのは、思考や概念の流れをより複雑かつ着実かつゆっくりにしてくれるから。すぐ結果出ないこともわかるし(基礎研究大事)。
ノキさんのアドカレ記事の論旨とは違う視点においても、古典などを学ぶ意義を私も擁護している。
精神的な領域において、そういった複雑な豊かさがないと思考が荒び、メンタルの危機が起きやすくなり、社会も荒れると思っているから。
QT: https://fedibird.com/@utan/113655047961463376 [参照]
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
ログインした時には常にモデレータが監視しており、
何か問題が起きても思う通りに対応してくれる素晴らしい鯖があるんですよ
お一人様って言うんですけど
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
うえのでもわかるSNSのネチケット
第1章 みだりにDMを飛ばすと死ぬ
第2章 酔っ払った時は触るな
第3章 異性の年下と会うな、爆死する
第4章 勤め先の写真をアップすると銃殺される
第5章 基本どのSNSもDMはE2EEで暗号化されてないので、お前が送った局部写真は管理者なら見れる
第6章 今日の友は明日の敵
第7章 垢消しするな、病むぞ
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
めちゃくちゃおもろいなと思ったの、「イエスがダビデ王の子孫である」という権威・正当性が主張されてる論があるというのを初めて知った なるほどなーー! ていうかヨーロッパ(ローマ圏)では、確か教会から王への承認が与えられた、王の正当性を教会が保証していたと記憶しているので、逆にその教会(キリスト教)の最初はダビデ王の子孫、王の血を継ぐ者じゃないとダメなんだ……(という考え方があるんだ……!)と思ってワクワクした
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
なお、ここでの渓流と用水路は譬えであり、実際の姿とは違うことは注意。
農業用水路は氾濫などがないよう複雑に維持・管理されており、山の渓流は時として鉄砲水を引き起こす。
まぁ、イメージの比喩です。
人のメンタル関係のことを扱おうとする人にいつも説明することがある。いい機会なのでこちらでも共有。
まず二つのイメージを思い浮かべてもらう。一つは山の中の高低や湾曲などで複雑に流れる渓流。
もう一つはコンクリート舗装された直線の農業用水路。
人間の精神にもエネルギーがあって、過去から現在、現在から未来へ流れていると想定してしてもらう。
あなたが自分自身や相手のメンタルの状態の「良い」状態であるとするのは、複雑な流れや淀みがあり流れるのに時間がかかる渓流か、直線で淀みなく素早く流れる農業用水路か、どちらですか?と問う。
そこそこの人が直線の用水路が「良い」状態だと答える。
ここで「直線の用水路のような精神状態だと、その人が希死念慮をいだいた時、直線の最短距離で自殺既遂となりませんか?」と問う。
ここで「うっ」っとなってくれれば、私の伝えたいことは伝わったということ。
ある時は抑うつがあり、ある時は首尾一貫性がなく、ある時はいいかげんで、ある時はがんばり、ある時はゆったりとサボれるような、複雑さのある精神状態を周囲はサポートするべきであり、直線の流れにその人がはいったら警戒すべきだ、ということ。
変な首尾一貫性なんてないほうがよく、矛盾を受け入れられる柔軟性が大事だということだ
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
(承前)
マタイとルカの系図の違いについて、田川建三の解説を引用します。
「ここには、アダムは神の子であり、従ってアダムの子孫である全人類は神の子なのだ、という理念が表白されている。まさにストア派的な、人間は神から生まれた『神の一族』である(使徒行伝)十七・二八)。……まさにこの点がルカの系図とマタイの系図(アブラハムからはじめて、イエスを生粋のユダヤ人として描こうとしている)との根本的な相違なのである。」
『新約聖書 訳と註 2上 ルカ福音書 174頁』
ここらへんのおおらかさが、私がルカのほうを好きな理由ですね(マタイが好きな人、ごめんね)。
救いはユダヤ民族に限定されないのです。
「ルカ福音書のにはマタイと違いイエスの系図は出てこない」と書きましたが、説明不足の表現だったので下記のように訂正しました。
「一方、ルカ福音書のクリスマスにはクソ長い系図も、東方の三博士も乳香、没薬、黄金も登場しません(系図は第3章でイエスの公生涯の始まりにマタイと違う形で出てくる)。」
伝えたかったのは、マタイのように系図を使いクリスマスを王者誕生物語とルカはしていない、ということです。
訂正の上、説明不足をおわびします。
マタイとルカには共に系図がありますが、その位置と内容は異なっています。
マタイは冒頭に配置し、系図の始まりを「アブラハムの子ダヴィデの子の」とユダヤ民族の始祖アブラハムにしています。
一方、ルカは系図をイエスが洗礼を受けるシーンに配置し、系図の始まりをユダヤ民族の始祖アブラハムを突っ切り、アダムから神までさかのぼります。
これは顕著な違いです。
QT: https://fedibird.com/@utan/113642343540852415 [参照]
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。