この電力逼迫でUPSを買い求める人が増えてると聞きます。 安いUPSは、一度動作し始めたら完全放電して電源が一度切れるまで止まらない(= すぐ電力復帰してもPCを一度落とさないといけない)ものとかもあると聞くので、ちゃんと仕様をよく見て後悔のない買い物をしような。
東日本大震災のときぐらいしか役に立ったこと無いけど、もしもの時の保険料だと思って、UPSは定期的にメンテしつつずっとつけてきて10年以上経つ。今使ってるのは3代目~。
「資料集め」だと思って資料集めすると手が止まっちゃう人と、日々遊ぶゲームやイラストなど全てが資料集めだと思っている人の考えの違いによる意見の違いな気がする。 > RT
価値がないものは悪い物だとは言って無くて、むしろ価値と所有がベースなっていきそうな、一部の人が言っている新しい(?)Webの世界は嫌だなーという思いを込めた思考実験でした。
まぁそれでも、表に立つことが他の人の役に立つ、最適解だって時はやるけどね。マストドンの時とか。 あれは半年ぐらいみんな飽きて終わるだろ~、ぐらいの気持ちで思ってなぁなぁとやってたんだけど、思ったよりしぶとかったね。
そんな感じだから、自分はあまり表に立つタイプの人では無いのです。裏で泥臭いことをしてるぐらいがせいぜいなのかな、と思っている今日この頃でした。
自分の内々から出てくるアイデアの初出は、思ったときの気分でテキストに書き起こすとなんとも棘があるものに仕上がることが多いので、こう角を丸くする議論に立ち会ってくれる人のなんとも有り難いことか。
言い過ぎだったことは否定できないし、だからこそオンタイムでは内々に閉じて話してた。 でも、なんか外で言及すると有意義なものになりそうだなーと思ってあえてこういうこと考えたよーって外に出してみた。 願わくば、一連のツイートへ価値が生まれますように。
雑にこういうことを考えていて、一昨日ぐらいにボイスチャットで「一点物は価値はないと思ってる」って軽率に発言したら、色々つっこみをもらいました。なんかもやもやしたので、もう少し詳細に言語化してみた。 twitter.com/nullkal/status…
何が言いたいか分からなくなってきたのでこれぐらいにしておこう。 折角ものを無限に複製できるコンピュータの世界なのに、そこへ変に枷をつけようとする試みは、何を共有財にして、何を所有者の利益にするかよくよく考えて作らないと、大変なことになるのではと思う今日この頃でした。
そういったコンテキストに高い評価を得るためには、そのコンテキストが高い価値を持つ物なんだよと、広い人に知らしめる必要がある。アートだったら潜在的に購入しそうな人達の間だけでいいとは思うんだけどね。
一点物のように見えて実は一点物じゃないものに、芸術家のアート作品とかがあるよね。 確かに一個一個は違う物だから、一点物って言ってもいい気がするけど、「~が描いた絵だ」「~という技法で描いた絵だ」「この絵が描かれた年にはこういうことがあった」は、必ずしもそれ固有じゃない。
何が言いたいかというと、物の価値を最大限高めるためには、物の一部を万人が自由に利用できる状態に置く必要があるのかなと。例えば、本のタイトルには著作財産権はなかったりとか。 逆に、「所有」することによって所有者が利益を得る重要な何かは、万人が利用できる共有財にしてはならない。
「あれが欲しい!」って欲求を持つ人がいるから物には価値が生まれるものだけど、本当に世の中に一つしか無いもので、全ての権利を一人が独占していて、それを外に出してないものは、欲しいって欲求を持つ第三者が存在し得ないので、価値というのは生まれないのではという仮説。
物の価値って主観的な物だけど、価値がある物だって評価されるためには、何らかの形で物を使ってもらう必要がある。 使ってみるっていうと、実際に触ってもらうとなそう言うのを言いそうだけど、例えば話の種にしてもらうとか、名前を言うとかそう言うのも多分に含む概念としてここでは言ってる。
最近気付いたことなんだけど、「本当の意味での一点物」ってそこまで高い価値はつかないのでは? いや、本当の意味でのってなんだよって話だけど。