誰かの夢へのタダ乗りで叶ってもそれは本当の自分の夢の実現にはならない、すごい言語化として端的で分かりやすくて言わんとしてることもそうだよねってものではあって、でも、花帆ちゃんも当の姫芽ちゃん自身も去年はその他人(先輩)の夢へのタダ乗りを疑問を抱かずにしていたのではないのかなってなって、だから今花帆ちゃんに乗っかって善しとしてしまうのは何か違うってなってるのは、それ自体(他人の夢へのタダ乗り行為の是非)よりも、去年はめぐちゃんがいたことによって姫芽ちゃんの中で無自覚に棚上げになっていたことを、めぐちゃんがいなくなったことで自覚し向き合うことなんじゃないのだろうかとか……ぼんやり……
(推し活に含まれる推しの夢へのタダ乗りという側面とかそのへんの……)
(普通に、別に全くそういう話ではないかもしらん)