「『男女平等』は男女平等のことではない」というのは,「別にそれならそれで構わないが,最初からそう教えてほしかった」と思うものの,「書いてあるものを書いてあるとおりにしか理解できない馬鹿を予め弾く」という狙いが見事に達せられているのを見るに,敵ながら天晴と言わざるを得ない.
「『男女平等』は男女平等のことではない」というのは,「別にそれならそれで構わないが,最初からそう教えてほしかった」と思うものの,「書いてあるものを書いてあるとおりにしか理解できない馬鹿を予め弾く」という狙いが見事に達せられているのを見るに,敵ながら天晴と言わざるを得ない.
「怒られる」を「怒られが発生する」と言うのは,単なる迂言というより自分を使ってプレイしているゲームの実況に感覚が近い.
ほんとだ
東京大学 本郷キャンパスの建物で火事か 煙上がる | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210815/k10013203531000.html
仁斎,徂徠,宣長の流れをもう少し大きい日本思想史の展望のもとに知りたいと思って,最近中公文庫になった源了圓『徳川思想小史』を読んでいるがめっぽう面白い.
本居宣長のすごさというのを理解していなかったのは恥ずかしいと思う反面,「言と事と心とは其のさま相かなへるものなれば,後世にして,古の人の,思へる心,なせる事(ワザ)をしりて,その世の有さまを,まさしくしるべきことは,古言古歌にある也」という『宇比山踏』の言葉を今読んで我が意を得たと感じるのはずっと西洋の文献学や解釈学の周辺をちまちまと齧ってきたからこそという気もする.
文献学者としての卓越性(https://gnosia.info/@ncrt035/106758762236979433 )の一方で,平田篤胤を経てやがては八紘一宇の考えに通じていく可能性をはらんだその神学の危険性にも慄きを覚える.
しかもそれが「たゞ天皇の大御心〔オオミココロ〕を心として……ほどほどにあるべきかぎりのわざをして,穏〔オダヒ〕しく楽〔タヌシ〕く世をわたらふ」ことを日本人のあるべき姿とする,という日本人のメンタリティのあまりにも的確な記述と共に展開されるんだから愕然とするな…
著者は「このような基本的考えにたって,政治的現実についても,尊王の心をもちつつ,時の政府である幕府にしたがうのがわれわれのとるべき態度である,と彼は考える」「皇統は一貫するがゆえに,神によって始められた道は今日も生きている.したがって人は時の政府にしたがいつつ,祖神をまつり,楽しく穏やかに生きればよい,と彼は考えた」(p. 239)とまとめている.この現状肯定的思想は今日なお大多数の日本人によって賛意をもって迎えられるのではないかと考えると眩暈がする.
「ほどほどにあるべきかぎりのわざをして,穏しく楽く世をわたらふ」……あらゆる社会変革の足腰を忽ちに萎えさせる恐ろしい心性だ.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
リングフィットRTA はじまった
RTAinJapan - Twitch https://www.twitch.tv/rtainjapan/
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。