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楊駿驍『闇の中国語入門』(ちくま新書,2024年6月)

既存の語学テキストを大量に読み込んだ著者が、どの中国語教科書でも明るく前向きな会話文ばかりが例示されていることに異を唱え、もっとリアルに複雑な「闇」を包含する世界を表現できる言葉をとりあげてくださっています。

似た単語の使い分けられ方、日本語ではいろいろに訳せてしまう単語の本質的なイメージの捉え方などの説明は実用面でもありがたいのですが、やはりそれらの単語の背景にある、いまの中国の若者たちが置かれた社会の状況、心のありようについての解説が、とても興味深い。

どうにもヒトゴトではなかったり、焦りやしんどさが胸に迫ってきたりもするので、単純に面白いというのもちょっと違う感じはしますけれども。

あと私は中国のコンテンツを多少見ていますが、やはり辞書を引き引き意味をとっていくだけでは、分からないことってありますよね。たとえば読みながらまず想起したのは、動画サイトBilibiliのアニメ『時光代理人』の番外ミニキャラ化シリーズにおける、主人公たちが食事を注文しようとするが心を決められないというエピソード(※)。

〔つづく〕

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〔つづき〕

こういう話、本書の「纠结」や「恐惧」の項で紹介されている「选择恐惧症(選択恐怖症)」を知っていれば、きっと初見時の受け止め方が違ったと思うのです。

あれはキャラたちの個人的な問題としてネタにされていたわけではなくて、「症状」として表出する、名前のついた社会現象であるという共通認識を踏まえて意図された笑いだったのかな、と。

私は普段、Bilibiliの動画を弾幕コメントオフの設定で視聴しているのですが(B站のよいところ台無し)、思い立って弾幕オンにしてこのエピソードを見直してみたら、案の定、視聴者による「选择困难症(選択困難症)」という書き込みがいくつも流れていました。「恐惧」と「困难」で少しワードチョイスが違うけど、たしかに「症」であると認識されている。

結局、言語学習ってその言語が使われている社会とそのなかの人に関心を持たなければ上っ面で終わってしまうし、社会というものが深く広大でしかも常に変化している以上、知っていこうとする試みには、どこまでも終わりがないのだよな、と改めて。

〔つづく〕

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〔つづき〕

(こんな書き方をすると、もしかして学習に対してなんか前向きにやる気を出しているようにも読まれるかもしれないけど、むしろ果てしのなさに打ちのめされるような、あるいは目の前にそびえ立つ壁を見上げるような心境です。)

本書で描き出されている、現代中国社会を生きる若者たちの閉塞した、しかし可能性が潜む「闇」のなかから、今後なにが生まれてくるのか。絶望が突き進んだときそれは本当に希望に反転するのか。それをいつか、有識者の言説を通じてでも、垣間見る機会があるほどに長生きできればなあと思います。

〔了〕

 
 
※文中で言及した動画
《时光代理人 小剧场(时光照相馆的日常)02:关于点外卖的那些事》
bilibili.com/bangumi/play/ep42