ザセカンドでの金属バットの漫才が、ほんと練度すごくてガチヤバいんで、TVerなら今日までなら見られるんで絶対に見てほしい。ナイツ塙も絶賛するのわかる。https://tver.jp/episodes/epbothssjb
ザセカンドでの金属バットの漫才が、ほんと練度すごくてガチヤバいんで、TVerなら今日までなら見られるんで絶対に見てほしい。ナイツ塙も絶賛するのわかる。https://tver.jp/episodes/epbothssjb
手前味噌なんだけど、あんまりにも良かったんで、noteも書いた。ぜひ読んでください。
一見「ポリコレ的にアウト」だけど、実は「ポリコレwww」って笑ってる連中の暴力性を暴きまくってる漫才だよ。こういうの見ないで、理解しないでなーにがポリコレじゃい、ってわしゃ思ってるよ。
言うても6分の漫才を見る余裕はないやろうし、見ても考えんやろうし、そんなことするよりも、表面上のワードにだけ反応して「ポリコレ的にNG!」って言うだけのほうがかんたんだし、誰にでもできるからなー。(煽り)
まあ、なんかそろそろ「健康」もきそうだよね。実は2ヶ月くらい前から、左手とかがめっちゃ痺れてきてんだよなー。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
こんなこと言うとおいおいと言われるかもしれないが、自分も他人の笑い声は「ウケの総量とその質」という単なる情報でしかほぼ受け取っておらず、なんならほぼまったく笑っていない。
観客の笑い声を聞いて、さみしくなったり不安になる感性って、めっちゃ当然だし、笑いの機能の一つは「同じ感情で複数の人間を1つにまとめあげる(とともにそうでない人間を排除する)暴力」なので、むしろ「わかってんじゃん」ってなる。
逆にこういうことに気づいてない「お笑い好き」がヤバい。今回の金属バットの漫才も笑うというよりゾッとしてる。ただただまともなことを延々と言っている人が「ボケ」といされて、大衆の面前で大笑いされてるのだから。
で、その構造自体に「ふっ」ってなってしまうタイプ。お笑いは「そこ」が一番おもしろいんじゃないですか。
なんていうか、そもそもお笑いがそもそも暴力だとか、感情の一律の強制自体が「お笑いと真逆のもの」でも同時にあるってことがわかってない人が多すぎるんじゃないかな。
だから逆に「お笑いが苦手」って人も「そういうお笑い好きが苦手」ってのと混同しているっていうか。どちらの要素もあるからおもしろいんだよね。みんながまじめに1つに合体していく要素と、それから外れた人がそうしたはずれた状況への意味の書き換えと。だから「おもしろい」んであって「笑える」かどうかは全く別だと思ってる。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
あの漫才、単に「漫才」として見ると「ああ、そうですか」なんだけど、自分が小林だと思って見てみると、もう悪寒、ぞーっとしかしない。「ヤクルトでつくったマラカス?(会場大爆笑)」「性別で人をくくるな!(会場大爆笑)」「え?え?なんでみんな笑ってるの??」って泣きそうになる。真面目なことを言ってるだけなのに......。
でも、だとしたら、ほんまは笑われてんのは笑ってる連中のほうやで。そんなことにも気づかへんくらい、常識に埋没してんねんから。
そして同時に「性別二元論をバカにするな!」と怒ってる「ポリコレの方々」もこの漫才はバカにしてる。だってお笑いの構造をそのまんま提示してるのに、理解できていないんだから。
この漫才は金属バットの漫才の中でも明らかに異質。
ジャルジャルと河合優実のこれも、お笑いだけど、とにかく恐怖。自分が福徳だと思って見て泣きそうになる。
そんじょそこらの映画を見るよりか、よっぽど深いよ。
ジャンルで見なければ映画だって漫才だってコントだって文学だって、なんだって笑えるし泣けるし恐怖できる。
居場所づくりとかでもそうなんだけど「どこにも居場所がない人」が来やすいように「誰でも来れますよ」と言うと「どこにも顔出す人」が来てしまい、どこにも居場所がない人が来ることができない。今の星野源はこの「どこにも顔出す人」になってしまってる。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。