今日のよかったとこは、まったく種類の特定できない不思議な見た目の、ものすごく巨大な犬を見たことです。人間がお散歩させてた。あれ何だったんだろう?
Former editor, now a reluctant worker at humble civil society fund. Muttering restless something in Japanese.
And if you shake one end, You're gonna rock the other. It’s the same boat, brother.
When I find any photos of Ardea cinerea or Ardea herodias, I will boost them just for love.
そしてぱんだです。
今日のよかったとこは、まったく種類の特定できない不思議な見た目の、ものすごく巨大な犬を見たことです。人間がお散歩させてた。あれ何だったんだろう?
もう冗談みたいに当時の細部を覚えてないことに気づく3/11。
埼玉に帰れない人にママチャリを貸して、歩いて帰宅した記憶が。当時の職場にはチャリ通勤してた。まだ月刊誌作ってた。企画途中の特集記事ぶん投げられて病んだ。隣席の人が東北出身の人で青ざめてた。彼の家族が生きていたのがわかったのは、何日も後のことで、みんなで半泣きで喜んだ。
私はPHSだったので、当日のうちに親の安否確認はすんなり。実家の屋根は瓦が多少落ちたが、それ以外は被害なし。親はまだ介護施設に入ってなかった。
揺れてない地域からのお見舞いの連絡は、「あー、この人揺れてないからわからんのだなあ」というテンションの差がつらかった。余震とスーパーの品不足、原発爆発にビビる毎日。細部が欠落した記憶。
東京でもそんな感覚だったから、まして本当に被害に遭った人たちは、「他の地域の人にはわからないだろうな、私たちの気持ちは」と思っているのではないかな。きっと今でも。