https://gnusocial.jp/notice/3207009
!mental ニューロダイバーシティねぇ… 発達障害者には「何か頭抜けた適性がある」というプレッシャーになりそうで気が引けます…IQは健常者と同じですからね。 特に何もない発達障害者が置き去りにされそうで、怖いです…
経済産業省の説明文読んだけど、産業におけるニューロダイバーシティの重要性の観点に偏っていて、ニューロダイバーシティという概念自体の包括的な解説にはなってないのでは
https://gnusocial.jp/notice/3207009
!mental ニューロダイバーシティねぇ… 発達障害者には「何か頭抜けた適性がある」というプレッシャーになりそうで気が引けます…IQは健常者と同じですからね。 特に何もない発達障害者が置き去りにされそうで、怖いです…
経済産業省の説明文読んだけど、産業におけるニューロダイバーシティの重要性の観点に偏っていて、ニューロダイバーシティという概念自体の包括的な解説にはなってないのでは
「論理的な思考」というのは、多くの人間にとって自然な思考とはだいぶ異なったものだ。人間はだいたい不確実な連想を行なっているのだが、「論理的な思考」では、そういう不確実な連想を抑制しなければならない。そうすると、連想機能に欠落を抱える人間の方が、「論理的な思考」という側面では有利であるかもしれない。
しかし、人間は不確実な連想、ヒューリスティックな判断を活用して生活しているわけで、なんでもかんでも論理的であることを求められては、多くの人間にとって窮屈だし、生きていくことができなくなってしまう。
見えないものを想像することと、見えているものを無視すること、どっちが難しいだろうか。無視の方が、想像より、よほど難しいのではなかろうか。
人間には想像という機能がプリミティブな能力として存在しているため、想像という行為が当たり前すぎるために、想像を伴わない認識が存在する可能性に思い至らないということがあるのでは?