おはようございます☀
お笑いってそもそもニューロティピカルなところあって。特にダウンタウン的なお笑いってそれがキツい気がする。
松本人志が「もっと霜降り明星番組に呼びたいけどギャラが高い。ハマカーンより高いもんな」って言ったと。これ「字義通り」取ったら「霜降りのギャラがハマカーンより高い」と言ってるだけなんだけど、①ハマカーンは霜降りの先輩である。②ハマカーンなんかより圧倒的に霜降りのほうが人気も実力もあるので、③したがって①からするといやいやいや!と言うしかないが、そうすると霜降りの価値が低いことを自ら認めることになる。④とはいえ②を認めるとハマカーンと空気が悪くなるっていう、どっちに転んでも「やりにくい」キラーパスを投げていることになる。
粗品の返しは「そりゃそうやろ!」。思いっきり失礼をぶっこくことでむしろキャラとして「粗品おもろい」に変える方向で返してるんだけど、これ、さらに言えば「粗品のそういうとこを引き出すための良パスやろ?」ってなったら「確かに」にしかならないんだよな。
でも、まず、こういうの、字義通りにしか解釈できない人や、文脈、人間関係を前提とした情報を読み取りにくい人からすると何が行われているのかまったく理解できないし、おもしろくもないし、笑えない。でも、これが「いじる」ってことなんだよね。
「いじる」からこそその人の「アドリブでの返答能力」「他の人間との差異、個性」や「高度な情報処理」、機知が発揮できる。これは百人一首の時代からそうで、「和歌、いつもお母さんに代筆してもらってるんでしょ?」という藤原定頼の「いじり」があるから、「まだフミも見てないし、フミもしてない天橋立です」って小式部内侍の返しが成立し「こいつマジかしけえ!!」ってなるわけで。