🤔
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なんでもかんでも設計で担保できるのならユーザじゃなくて全部メーカ側に帰責され得るしなぁ
滅茶苦茶な話だけど「そう作ったのならそうならないのはおかしい」と
やっぱ人間の製造物責任を神に求めないと(ガンギマリ)
遊星ギアは自分で設計してプリントして遊ぶのが一番早そう
http://www.knowhave.com/gear/sample.php
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自動車の接近警報、鉄道的に考えるなら車道に人が存在することそのものが間違いだし排除しなければならないってなるよねぇ
内燃車(とその時代)を前提とした交通行政って非常に綻びが多いと思う
軽自動車が構造上安全じゃないのなら安全な範囲で乗れば良い、人は車とそういうふうに付き合ってきたんだろうけど今はどうなんだろ
いまどき「安全じゃない車」なんて存在しないわけ、ほとんどの人の頭の中には。それだけ早いペースで車の世代の代謝を進めてこれたのは日本の自動車産業様々だけれど、機能性といった付加価値でしか勝負できない昨今に一旦安全とは何かという法規や構造設計で担保されているはずの所まで立ち戻った理解が売る側にも、そして乗る側にも当然必要になるんだろうねぇ
操縦性とかなんて車なんだから走るのは当然、それよりいくら積めてどの程度乗り心地が良いかになるでしょ
遊び道具じゃなくて道具なんだから
むしろ問題があるならそれは欠陥車だって話になる(だからこそプリウスが目の敵にされてるのはありそう)
ていうか安全に関するデザインの研究って、「いかに自分はアホじゃないと思い込んでる人間はアホか?(ていうか人間と言うものはいくら訓練されてもアホである)」ということを解き明かす研究かも><
鉄道は人間を信用しなくてOKじゃなくて、いかにして人間の判断を介在させないようにするかという一点を実現するために限りない犠牲を払ってきた歴史があって
乗り換えてすぐはAピラーで見通し悪くてめちゃくちゃ怖かったんだけど悪い意味で慣れた感じがある、見えてっかなぁ