旦那さんはゲームやる人だけど「自分でやってるとセリフの細かいところ見てる余裕ないからお前のやってるところ見たい」(※アクション)みたいなことは言われるしゲームやるし実況も見るって人はそういうのもありそう
一次創作+二次創作+絵+日常とハンドメイド
最近は主にACVI。
ドールやぬいもすき。20↑
おえかきは主に水彩/アナログ。デジタルもすこし。
「一月えいな」名義でたまに展示会出たり同人誌描いたりしてます。
《すき》3L/FF1/AC/刀剣乱舞/スポーツ観戦
《いま》アーマード・コアVIとてもゆっくり進行中
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旦那さんはゲームやる人だけど「自分でやってるとセリフの細かいところ見てる余裕ないからお前のやってるところ見たい」(※アクション)みたいなことは言われるしゲームやるし実況も見るって人はそういうのもありそう
子供のころに繰り返し大人から何事においても「お前にはできない」「やるべきじゃない」「できなくて恥ずかしい」と言い聞かせられてきたのはだいぶ大きい呪いを受けてきたって思っていいのか…?
こう…ゲームが好き!楽しい!もっと遊びたい!ってなるの、憧れだしそうなりたいなぁっていうのある。ここにいるとそういうエネルギーもらえるからがんばりたいなってなったりもする
わたし、ここでは珍しいゲーム苦手勢なのかもしれない
というかゲーム苦手な人ってもうあんま世の中にいないのかな?何やっても下手なのでだいたい苦手なのだけれど…
(読み直したらゲーム嫌いみたいだったけど、ゲーム自体はすごく好きだし憧れもあるし、やってみたいゲームもたくさんあるし、自分でやってきたゲームにはめちゃくちゃ愛着があるよ! うまくいうのむずかしい!)
ゲームって間違いなく最も面白いエンタメコンテンツだと思うんだけど、その分エネルギーを使うものだとも思っているので、だらっとテレビとか動画見てる方がつまらないけど楽っていうメリット(?)もあるんだよなって最近すごく感じている
そもそもなんにでもあるんだけど「自分がやってみるのが好き」と「鑑賞するのが好き」って近いようで遠いよね。スポーツなんかはわかりやすいけど歌とか絵とかにもそういうのあるよなって思う。わたしは人が歌う歌を聴くのが好きだから自分が歌えない曲を聴くのが好きだけど、旦那さんは自分が歌うのが好きだから歌いたい・歌える歌を聴きたい、みたいな感じでモチベーションの違いがあったりする。
ゲームもそういうとこ実はあるよなーって思う。特に今のゲームは難易度やプレイボリュームが高い方がプレイする人には喜ばれるから、こう…あまりゲームに体力や時間を割きたくない側からすると触りづらいわけで…消費者の側が二極化してる気もする。
子供のときはゲームやって失敗するのを人に見られるのが耐えられなかったんだよね。大人になるに従って(あと据え置き以外のゲームハードが手に入るようになって)やっとゲームやって楽しいなと思えるようになった。わたしの子供の頃はゲームは男の子の遊びだから女の子はやらないみたいな時代だったのもあるけど…
わたし、実は小さい頃から弟がゲームやってるのを見るのは好きだったけど、自分ではよっぽどのことがない限りやらなかったから、ゲームやる人とゲーム実況見る人は世代差もあるけど個人差もあると思う(ゲーム実況=友達や家族がゲームやってるのを見るのが好き、の延長上と考えて)