あじさいの花がいよいよ咲き始めたある日、少女はとあるお寺の永代供養塔の前に居た。打ち捨てられた建物が目立つこの御時世であっても、境内はよく掃除され建物にも修繕された跡が見えるし、御影石でできた立派な供養塔の辺りにはお線香の香りが漂っている。周囲を取り囲む杉の大木の間を心地よく涼しい風が優しく流れ、その葉をさざめかせた。久しぶりに太陽が照ってはいるが夏になるのはもう少し先そうだ。
「マスター、お久しぶり。ミコトとは仲良くやってる?」
着物のような洋服のような和洋折衷で身を包んだ少女・鳴花ヒメの手には、供えるためのお花があるわけでもお線香やお菓子があるわけでもなく、ただここへぶらりと立ち寄ったかのようだった。
「この寺はいつも綺麗だね。社会が老いて朽ちていく中でも、宗教は人の心を支えている事がよく分かるよ」
返事をする事のない御影石の塔に語りかけたヒメは躊躇する事なく砂利の地面に腰を降ろし、だらしなく胡座をかいて、おもむろにポケットから瓶を取り出した。栄養ドリンクのそれよりも気持ち大きいくらいの瓶の中で、僅かにとろみのある琥珀色の液体がとぷとぷと揺れる。
「4年前に漬けた梅酒、これが最後だよ。最近はなかなか実を付けられなくてね。今年もダメそうだ。春前には分かってた事だけどね。マスターくらいしっかり手入れしてくれる人が居ればなー」
淡々とした報告。その口調には、残念に思う気持ちや諦め・悲しみの他にも少量ながらポジティブな感情が含まれているようにも聞こえる。
「ん、ん!固いな。こんなにキツく締めた覚えは、ないん……だけど!」
人形のように華奢な腕で、ヒメはようやっとプラスチックの蓋を開ける。中身が外気に触れると微かにフルーティな香りが漏れ出した。
とはいえ、
「やっぱりちょっと香りに欠けるかな。まぁ私にしてはよくやってきたと思うよ。マスター不在で何十年もさ。だいたい私は梅の実をつけるのには向いてないんだよ。花の方が得意分野だっての」
出来は微妙なのかもしれない。
一通り文句を吐き出して一息ついたヒメは、瓶にそのまま口をつけ、ちびちびと飲み始めた。少量ずつではあるがアルコールがしみていき、ヒメの小さな身体がほんのり温まる。
「はぁ……。もう半分か。悪いけどお供え物にはできなそう」
絶対にそんなつもりなどなかった言い方だけど、気にする者は居ない。ヒメは残りの半分を一気に飲み干して、よっこいしょと立ち上がる。
「また来るよ。……いや、今度はそっちに行く事になるかもしれない。そしたらミコトにも久々に会えるね。よろしく伝えておいてよ?いくらか土産話があるから楽しみにしててね。それじゃ」
そよ風が吹き抜けるとそこには何もなく、柔らかな梅の花の香りだけが残されていた。
問題:私はだーれだ?
ヒント:相合傘(紡乃世詞音×双葉湊音)も私が書きました
https://voskey.icalo.net/notes/9mlzr0yssb
※本概念は未成年飲酒を勧めるものではなく、登場人物は容姿こそ少女ですが成人に相当する年齢です。お酒は20歳になってから飲みましょう。 #匿名ぼ民の投稿