昨日から祖母がお腹を壊し続けており、今日もデイサービスでお腹を壊していたため病院に行ったものの、どこも悪くはないと言う事で帰宅。こういう事が、ひとつひとつ増えてくんだろうな…もう97歳だもんな…
陳情令の忘羨中心で二次創作したり、SwitchやPS5でゲームしてたりする、いにしえの腐。雑多に騒ぎます。FF非表示にしてますので、リムブロお気楽に!
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昨日から祖母がお腹を壊し続けており、今日もデイサービスでお腹を壊していたため病院に行ったものの、どこも悪くはないと言う事で帰宅。こういう事が、ひとつひとつ増えてくんだろうな…もう97歳だもんな…
定位置のソファからトイレまで、3mもない距離を歩くだけで呼吸がひいひいして、靴を履くために屈むだけで、やっぱり息が切れる。循環が悪いので、手足が浮腫んで、少しでも硬い靴だと痛がる。
すべての機能が、少しずつ落ちてゆく。祖父もそうだった。
うちの父はツンデレなので誤解されがちながら、実にこまめに祖母の面倒を見ており。ここにきて、子供の頃の寂しさや、お母さん(祖母)のことが大好きだったエピソードなんかをよく聞く。
祖父と祖母は結核病棟で共働きしていて、めったに家には帰らなかった。父はひとりでバスに乗って幼稚園に通っていた。おおらかな時代だったので、病院の近くに来ると、運転手さんがバスを止めてくれる。すると入口まで祖母が出てきて、窓に向かって手を振ってくれた。それが、とても嬉しくて楽しみだった、とか。
父は戦中、満州で出会った両親のもと生まれた。祖父は満蒙開拓団のレントゲン技師、祖母は看護師で、現地の人に技術を教える立場にあったので、終戦後もしばらく引き止められ、技術を伝えきってから帰国した。小さい父は中国語ばかり使っていたので、帰国後しばらくは日本語がうまく喋れず、周囲とコミュニケーションを取るのが苦手だったらしい。
父いわく、祖母は、仕事など周囲の人が最優先で、家のことには殆ど関わらなかった、と。それでなくても心を閉ざしがちで愛想に乏しい父は、扱いが少々難しい子だったため、帰国後に産まれた、甘え上手の弟ばかり可愛がられた。それで、父は高校時代にちょっとぐれた笑
祖母は、自分(と私生活)を拋ってでも世のため人のために尽くす人だったので、未だに、どこへ行っても祖母の顔を知っている人に出くわす。あちこちで挨拶され、感謝される。それは誇りでもあり、その裏には、父の寂しさがあったんだなと思ったり。