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宗三左文字は身の回りで何が起きているのかに関わらず自分は十分に大切にされていないように思えていて、その気持ちが自分の人生の中の幸せな部分を認めることを妨いでいるタイプだと考えてる。
自分の人生で最も酷いと思ったことに囚われているから「きっとあれのせいで自分は……」とばかり感じている。
しかし世の中には客観的にもっと酷いとされる来歴を持ったものがいることにも気付いていて、気付いているからこそ余計に「刀として振るわれなかった」己を恥じて投げやりになる。
恥じているのなら素直に刀として使われることへの喜びを受け止めればいいのに、そうなれないのは結局のとこら「いくら客観視したところで主観はそれぞれにしかないのだから、自分より酷い境遇を目の当たりにしたからと言ってこの苦しみが消えるわけではない」という部分から逃れられないからじゃないかと思う。逃れられないことを、自分がいちばんよく知っているから。無かったことにできない。戦うしかない。
LTL、休み時間の教室くらいの感覚かもしれない。個人的には。
わいわい好きなキャラやゲームの話してる人、おやつ食べてる人、本読んでる人、絵や小説書いてる人がいて、絡みにいくこともあるし絡まなくても楽しそうなとこみてて癒されたりする