にょ〜
自分の非常に小さい窓から見ている "投資家" って自分の欲望のために金で暴力振るってる印象しかない
文章読める人は云々の話もあるけど,自分が思っていること感んじていることなどをきちんと言語化できる人も相当少ないんだろうな,って思った。多分それ故に文章も読めないんだろうな。
つまり、「察してもらう」ことで楽をしていた分のコミュニケーションコストって、丸々相手の心理的安全性を食いつぶす形でまかなっていた、ってことだったんですよね。これをもっとクソデカに言うと「気づいた人がやってくれる」理論になってしまうのよね。結局「やってくれる」人に依存している構図 (属人性) が生まれる。
「空気を読む」なんてのは、「言葉によるコミュニケーションに熟達した後、更にそれだけではどうしてもカバー出来ない部分をなんとか埋める」という能力であって、そもそも言葉抜きで身に着けられる能力ではない、と思うんですよね。わかる。そもそも「認識」ができなければ察するもなにもないわけ。