支配や依存って愛じゃないからな…
自分の発言はすべて自分の思想に基づいているから、なんか変なこと言ってるんじゃないかって心配になる。その場によって価値観の評価って変わるから(極端な話、宗教団体内部ではその宗教の価値観が是となる)私が管理している場では私がその場の価値観基準を形成していくウエイトが大きいだろう。誰にでも寛容でありたいが、偏った不寛容な言説に対しては注意するというパラドクスが生じている。構成員の自由を担保するには「すべての自由を認める」というわけにはいかない。少なくとも他人の自由を制限する自由に関しては認めてはならないのだ。