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手紙を書くのが好きだという日記。

手紙を書くことが好きだ。何か機会があるたびに手紙を渡させてもらっている。
書くこと自体が好きというのもあるし、便箋や封筒を選ぶ段階から好きだ。楽しい。
季節に合ったデザインだったり、渡す相手が好きなモチーフだったりを探して、ピンとくる物を選ぶという過程が楽しい。

概ね便箋2枚程度に収まる文量で内容を考えて、できるだけ読みやすい字で書くというのを心掛けている。
考えてみれば、手紙は自分が書く文章の中では特殊なものだなと思う。というのも、手紙というのは誰かに読んでもらう事を前提とした文だからだ。
ここだったり他の場所に書き置いている日記も、趣味のSSも、基本的には誰かに読んでもらう事を前提にはしていない。記録のために書いていたり、そもそも書くという行動そのものが楽しいから書いているので、読んでもらうかどうかはあまり重要ではない。実際、書いても公開しない文章の方が圧倒的に多い。SSなら5本書いて1本公開すれば多い方だ。
手紙についても自分が好きだから書くという事に変わりはないが、他者に読んでもらう事が目的の1つでもあるように思う。
だから受け取った人間が読みやすい字を書こうと努めるし、言葉選びも自分が好きな文体というよりは読んでいて不快感のない単語を選ぶように心掛ける。
(手書きの字については、手紙を受け取ってくれた方に何度か字が綺麗と仰っていただいたことがあり、それは素直に嬉しいことなのだが、実際自分では自分の字が綺麗だと思ったことは一度もない。書き上げてからいつも、拙い字だな…と思っている。誰かに字を褒めてもらえたのは成人してからが初めてだった)

これは楽団に入ってからぼんやりと気付いた事だが、自分は割と誰かに楽しんでもらったり喜んでもらったりというのが好きなのかもしれない。
手紙もそうだし、音楽に関しても1人で勝手に楽しむやり方も嫌いではないが、誰かに聞いてもらう方が好きだ。ただし自分1人の演奏を聞いてもらうのはあまり好きではない。団体の中の1人として聞いてもらうのが好き。だからソロは嫌い。できるだけやりたくない。目立ちたくない。
TRPGのGMの楽しさの中にも、参加PLさんに楽しんでもらうことが好きというのも含まれているのかも。

ただ、その一方で「せっかく」という思考にはなりたくないなと思っている。
自分がした事に対する反応が芳しくなかった時に、「せっかく自分がこうしたのに」だとか、もしそんな事を考えてしまうようになったら、それは自分で自分が嫌になるだろうな…と思うからだ。
例えば「せっかくこんなに難しい曲を練習したのにお客さんの反応は微妙だった…」とか思いたくない。練習したのは単純に自分が楽器を好きだからだろう。
何であれ、「自分が好きだからやる」というのは変わらないし、他者からの反応を目的にしたくない。
自己満足はどこまでいっても自己満足という精神は忘れないようにしたいね。

だから、手紙を書くことも自己満足にすぎないわけで。
考えてみれば、書くことが好きだから書いて渡してるけど、受け取る側になってみたらどうなんだろうな…とたまに思う。受け取って嬉しい人ばかりじゃないのは当然として、邪魔になっても手書きの手紙って微妙に捨てにくくないか…?と。
そう思いはするが、しつこく年に数十回送りつけている訳でもないので、これからも機会があったら手紙は書きたい。
書くことが好きだからね。