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安壇美緒「ラブカは静かに弓を持つ」を読みました。ネタバレ無し感想。
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主人公は、音楽の著作権を管理する団体の職員である青年。(要はJASRAC)
物語の発端は、「音楽教室の教材として楽曲を使用した場合にも著作権料を支払うべき」という著作権管理団体の主張だ。
実際にあった「音楽教室における著作物使用に関わる請求権不存在確認請求事件」の裁判が元になっている。
主人公は5歳から13歳までチェロを習っていた経験がある事から、とある音楽教室に生徒として潜入し、著作権管理団体が音楽教室との裁判で争う際の証拠を集めるスパイ活動を命じられる。

13歳の時に起きた事件が原因でチェロに対する恐怖心を持ち、人付き合いも苦手な主人公だったが、潜入先の教室で師事したチェロ講師の人好きのする性格と演奏に導かれ、再びチェロを弾くことに没頭するようになる。
しかしそれに伴って、師を裏切る罪悪感にも苛まれていく。
というストーリー。

洗濯機が終わるまでの30分だけと思って読み始めたのだけど、夜を徹して最後まで一気に読んでしまった作品だった。
読み終わった後は、思わず自分の楽器ケースを引っ掴んでカラオケに行って、無心に楽器を吹きたくなる程だった。それくらい、音楽をやりたい楽器を演奏したいと思い直せる本だった。

チェロという楽器に馴染みは無いが、楽器を演奏する上で共感できたり、ハッと気付かせてくれるような言葉もあった。
主人公の(そう思うに至った背景は違えども)人付き合いに対する苦手意識に共感する部分が多かった事もあって、自分にしては感情ごと前のめりになって読み進めていたように思う。
「ずっと同じ場所に居続けることが、どうしてかあまり得意でない」とか、「周囲がするりと乗っていくボートに、自分だけは乗れない気がした」とか。

印象に残っているセリフは、
「一般的な基準で自分の楽器を選ぼうとするなよ。橘君がいいなと思ったチェロが、世界で一番いいチェロだ」
というセリフだ。
自分が楽器を選んだ時は、試奏して気に入ったというのもあったけれど、指貝が桜のデザインになっている見た目に強く惹かれたからという動機もあった。
自分が春生まれで、今の名前に決まる前のもう一つの候補が「桜」だったと昔から聞かされていたので、この珍しい楽器にここで会えたのは縁かもしれないと思ったからだ。
買ったことを後悔したことは一度もないけれど、それでももっと相応しい持ち主がいたんじゃないかとか、宝の持ち腐れでは…?とか、初心者は初心者に合う楽器を演奏するべきでは…?とか、不安に思うことはたまにある。(特にクラシックサックスは、3大メーカーと呼ばれる3社製が正統派という風潮が強いこともある)
でも、このセリフに少し勇気を貰えたように思う。
自分がいいなと思ったサックスだから、世界で一番いいサックスだ。

要所要所で感情が前のめりになっていたからか、裏切ることに対する主人公の罪悪感だとか、バレそうになった時の肝が冷える思いだとかは、身につまされる思いだった。
読み進めながら、「やめよう!こんな職場!!やめて潜入なんてせずに普通に生徒になろうよ!!」と何回か思ったし、読んでいる途中で主人公と同じタイミングで「……は?」という声が出たのは初めての体験だったと思うし、終盤は「この状況からでも入れる保険ってあるんですか?」と思っていた。

主人公のスパイ活動がどういう結末を迎えるのか、過去の恐怖心とどう向き合ってどう変わるのか、最初から最後まで面白かった。
とても良い1冊でした。