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忘れ難き日々、いま一度、語りたきこと
山崎 剛太郎 (著)
《戦前は、堀辰雄、立原道造に注目された小説家にして《マチネ・ポエティク》の詩人、戦後は、半世紀に亘り700本を超える映画の字幕翻訳の名手として、映画と文学を横断した103 年の生涯の《楽しみと日々》。若き日の「プルースト論」も収録。》
《恐竜と蟻が、現代人類社会と変わらぬ高度な文明を築き、地球を支配していたもう一つの白亜紀。恐竜は柔軟な思考力、蟻は精確な技術力で補完し合い共存していた。だが、二つの文明は深刻な対立に陥り……。種の存亡をかけた戦いを描く、劉慈欣入門に最適な中篇》
中篇1作入りで2090円なのね、もはや
#書籍価格
白亜紀往事 ハヤカワ・オンライン
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015639/
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コロナで甲子園の夢絶たれた元高校球児 聖地で入場行進 スタンドは拍手&涙、20年夏の“リベンジ”
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/11/29/kiji/20231129s00001002261000c.html
↑↑↑この記事には使われていないが、TVニュースでは「3年越しの甲子園」「3年越しに(集まった)」などの表現が繰り返されていた。特に後者の、〇年越し「に」という言い方はこれまであまり聞いたことがない。
下記のサイトで指摘されているとおり、用法がややこしい言い回しなのに、なぜわざわざ使おうとするのかな。「3年前から持ち越されていた」「3年間待ちかねた」などのほうが結局シンプルだと思うけど。
やはり紛らわしい「○年越し」 - 毎日ことばplus
https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/97356
山と言葉のあいだ
石川 美子 (著)
《山を見つめ人と本を見つめる書き下ろしエッセイ集。パリ、アヴィニョン、シャモニー、グルノーブル、などの場所。ラスキン、デュマ、スタンダール、永井荷風、幸田文、須賀敦子、などの文章。深い外国体験と東西文学の素養に裏打ちされ、ゆくりなく想起される過去の風景や言葉をきっかけに、人生の美しさと哀しみが綴られる。読み返すたびに静かな感動と新しい発見がある十一の物語。》
↓RP↓
しばらく前に、
「アクセントのせいで “商人”に聞こえる」「日テレは中の人の読み方にまで精通している?」
等と話題になったことがあったな
https://x.com/yakkun0808/status/1634202218227449856?s=46&t=qekJDuM53VeLoWFGZYFyAA
https://x.com/harukosakaedani/status/1630749270558265344?s=46&t=qekJDuM53VeLoWFGZYFyAA
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「タイムキーパーのシンフォニー」(初めて読むケン・リュウ)まだ途中
全体に難しいんだけど、特にここは文の構造がよくわからん。
《故郷から…焦がれているわれわれは、》までが主語かと思うけど、最後が《想像に難くない》で終わっていることで、収まりがよくない感じを受けてしまう。
《つかのま、…もつれあうのは》が主語で、《…焦がれているわれわれ》にとっては、それが《想像に難くない》という意味だろうか。
原文ご存じのかた淡募(笑)
内容に全然見合わない法外な価格のパーティー券で金を集めている議員に、ホストクラブの高額お会計を云々する資格は無いわな #ワイドスクランブル
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『あのとき売った本、売れた本』永遠に読んでいたい「本屋の裏話」║HONZ
https://honz.jp/articles/-/54277
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ほぼ毎日新刊情報を眺めているとしばしば目にする『アジア遊学』というタイトル、これを雑誌(月刊)だと思い込んでいたので、「あら、また出てる。ついこのあいだ見た気がするのに。年をとると1ヶ月経つのが速いのぅ…」と勝手に嘆いていたが、どうも雑誌名ではなくて叢書(シリーズ)名だったのか!?…
アジア遊学 : 株式会社勉誠社 : BENSEI.JP
紹介文を読んでも、この書名の意味はわからないので、かえって興味をそそられた。
本かもわからん
おらふくん (著)
《元気をもらえる喫茶店、ゲームルートと進学ルート、やりたいものに出合えた夏…。元プロゲーマーでゲーム実況グループ「ドズル社」のメンバー・おらふくんが、実況者の日常や、知られざる原点を綴る。》
自分の妻を「嫁」と呼ぶ男性を嫌う人を時々見かけるけれど、配偶者を「ツレ」と呼ぶケースが実際にあるのなら、そっちのほうが私は何倍もイヤ。
(この本の内容は面白そう。)
ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内
川森 博司 (著)
《「ひと」と「ひと以外(動物・異人・他界の者)」が婚姻を結ぶ説話「異類婚姻譚」は昔話としても親しまれてきた。出会いと別れ、排除、殺意、秩序、利益。様々なテーマに彩られた異類婚の世界を紹介する。》
共同通信の文芸時評「いま、文学の場所へ」今月分で、朝比奈秋「受け手のいない祈り」を紹介していて、《…主人公は、大阪郊外にある救急病院に勤める外科医》であり、その《過酷な労働は、2年半ほど前、市立病院がコロナ禍による人員不足で救急医療から撤退したことを端緒とする。…》と、ここまでは作中のあらすじなのだろうけれど、書評の最後は《医療・衛生分野の公共サービスを縮小させてきた大阪は、コロナ禍での医療崩壊も際立っていた。それが人災によるものだと、この小説は示唆している。》と締め括られていて、そんなに生々しく現実の大阪につなげて読めるような小説だったのか、とちょっと驚いた。
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フォルチュニのマント 『失われた時を求めて』をめぐる衣服の記憶 (批評の小径)
ジェラール・マセ (著),福田 桃子 (訳)
《『失われた時を求めて』を裏返しに読む。
マルセル・プルーストと同じ1871年に生まれた天才芸術家マリアノ・フォルチュニ。作家は彼の創造する《衣装》をいかに効果的に織り込むか、その効果を周到に計算していた……
「官能を刺激し、詩的イメージを喚起し、そして苦痛をもたらす役割を、かわるがわる果たす」(プルースト)フォルチュニの絢爛たる衣装がもつ記憶の喚起力を紡ぎ出す。
「失われた時を求めて」で名指しされる芸術家としては、ただひとりの存命人物であったフォルチュニ。彼の名前を出発点に、連想のネットワークをたどり、もうひとつの「失われた時を求めて」のイメージを浮かび上がらせる。》
博物館の「怖い話」 学芸員さんたちの不思議すぎる日常
鷹取ゆう (著)
《学芸員さんたちが体験した「本当にあった」怖い話。博物館で実際に勤務してきた著者だから描ける、迫真の恐怖…。マンガで読めば、怖さも倍増!
さらに学芸員さんの「おしごと豆知識」も満載!》