「な!あやつ震えているが大丈夫なのかのぉ?」
「もしや、あれこそは…汙使我摩!」
「何、知っているのか、雷電っ!」
「左様…」
汙使我摩(おしがま)
古代中国、三国時代に生み出された体術(防御術)の一種で、その方法は身体をやや前傾にし、太ももを密着させ、両手を内ももの付け根に押さえつける。この防御型はあらゆる外的・内的要因からの刺激を遮断し、その堅牢な守りはどんな攻撃からも身を守ったといわれている。
やがて晋が中国を統一すると、外敵から身を守ることが主では無くなり、内なる泉が開放されるのを未然に防ぐための方法として一般に広まっていくことになる。
極めると1刻や2刻は当たり前になっていき、守麗双(もれいそう)と言われる限界を競う競技にまで発展した。
なお、現代において「押釜」という言葉が存在するが、この由来が「汙使我摩」であることは言うまでもない。
民明書房刊 『朱の趣向とその発展』より。