まあ、それを言い出すと、「この世界の片隅に」は、日本が被害者なのではなく、被害を受けた女性からみた「男性が加害者でひどい!」というお話しだからねぇ。特に、(さらにいくつもの)は、より際立った表現なので自分は(作品には感動しつつも)見終えたときのダメージがあったなあ…
まあ、それを言い出すと、「この世界の片隅に」は、日本が被害者なのではなく、被害を受けた女性からみた「男性が加害者でひどい!」というお話しだからねぇ。特に、(さらにいくつもの)は、より際立った表現なので自分は(作品には感動しつつも)見終えたときのダメージがあったなあ…
ちなみに、『火垂るの墓』も「加害者なのを隠した!」って韓国では批判が激しくて上映できていなかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%9E%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E5%A2%93#%E5%8F%8D%E9%9F%BF%E3%83%BB%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%81%AA%E3%81%A9 そうだ。でも作品としては「心中物」であって、被害者目線の反戦物ではないんだけどねぇ…
未だにTwitterでは「日本は加害者なのを描かないのはけしらかん!この世界の片隅にも同罪!さらに削った映画はクソ!」って盛り上がってて、そんなことないやろと裏取りにいったら、Wikipediaに細かく出ていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E7%89%87%E9%9A%85%E3%81%AB_(%E6%98%A0%E7%94%BB)#%E5%8F%8D%E6%88%A6%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%A9%95%E4%BE%A1
「飢饉の韓国から奪った米を食べた」という加害者性になっている、と。
いずれにせよ、「加害者である」という表現は原作・映画両方にしっかりあるんだけど、韓国人からは、とってつけた言い訳に過ぎないとバッサリ切られる感じ…
そうね、文化大革命まで起こせるほど権力を持てるとは思わないけど、彼らの中で内ゲバは起こるだろうし、そこが以前似たような主張になってた本に違和感もった理由だったんだなぁ…
"今後の文学研究は社会正義のためにあるべきだと言う人たちが、ポストモダンやポスコロやクイアといった学問をやっている。それらは学問ではない、という声があがっても、彼らはそれを力で押さえつける。つまり文化大革命が世界的に起ころうとしているのだ"
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そして言われてみれば、千と千尋の神隠しのときもそういう騒動があったなあ。それに比べればだいぶ譲歩したと思うねぇ。一回映画化交渉したから故の対応だろうけど。
https://x.com/8keZlE7ZYcT0ElS/status/1821777119749562722
イマジネーションの交流なんてあったんかね、作品を作った受け取ったの関係止まりじゃないかね。宮崎駿が「作品でしか語らない」と決め込んでいる以上、クレジットに載せただけでも十分だろう。
翻訳者とはいえ、あちらの作品の作者の肩を持ちすぎである。
というか交流してたらもっとつらい目にあったんじゃないかねえ…
https://x.com/sukimaweb/status/1821739677180948791
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