今はもう無いけど、小さい頃の僕はダイエー金沢店のエレベーターが好きで1日中ずっと乗ってるような子だった。それに文句も言わずずっと付き添ってたのが祖母
今はもう無いけど、小さい頃の僕はダイエー金沢店のエレベーターが好きで1日中ずっと乗ってるような子だった。それに文句も言わずずっと付き添ってたのが祖母
おばあちゃん子だったけど、祖母が年をとってアルツハイマーになって、ある正月に入院中の祖母の見舞いに行ったら、僕のこと覚えてなかった。
それがツラくてあまり帰省しなかった。
その後暫くして祖母は亡くなった。悲しみと、長い間ずっとお世話になり続けてきたのに自分がツラいってことだけで避けて、ろくに感謝の言葉も言えなかった後悔で、一報を聞いたあと職場のトイレで泣いた。
両親が共働きだったので、小学生の頃は学校終わった後帰るのは祖父母の家だった。
祖父は相撲見ながら晩酌する人で、メシの時間が早かった。
僕は祖母と一緒にキッチンに立って、横でなんか一品作って出したらうまいうまいと食ってくれた。
そして僕は料理好きになった。
枇杷が好きだったけど、高いのであんまり食べられず、可食部も少なく、もっといっぱい食べたいと思った小さな頃の僕は、実家と祖父の家の庭の隅っこに食べた枇杷の種を植えた。
実家のは芽も出てそれなりに育ったところ、親父が「こんなもん実がなるわけないやろ」と言って引っこ抜かれてしまった。
しかし、祖父はずっと植えたままにしといてくれたみたいで、15年後くらいに実がなったのをわざわざ持ってきてくれた。
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の編集長を除かなければならぬと決意した。メロスにはITがわからぬ。メロスは、雑誌の編集である。原稿を集め、印刷所に頭を下げて暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
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