これ、気にする人と気にしない人の溝はめちゃくちゃ深そうだ。相容れない「常識」どうしが、平然と共存している状態にあるのだ。あと、年代による認識の差も大きそう。これは面白い。今後、人と外食の機会があるごとに、クチャについて聞いてみることにしよう。
これ、気にする人と気にしない人の溝はめちゃくちゃ深そうだ。相容れない「常識」どうしが、平然と共存している状態にあるのだ。あと、年代による認識の差も大きそう。これは面白い。今後、人と外食の機会があるごとに、クチャについて聞いてみることにしよう。
生理的不快感に加えて、当然のマナーである、常識であるという確信があるから、嫌クチャ者はどこまでも攻撃的な態度を取るだろう。一方クチャ者は、嫌クチャ者にとってはありえないことなんだけど、そんなマナーは「はじめて聞く」ものだからキョトンとするしかない。
以上の個人的な体験から、「食事中にクチャクチャするな」というマナーあるいは常識は、日本では言い出されてからまだ日が浅いのではないかという推測ができる。50年前の日本人に「新しい基準」を適用すると、もしかしたらほぼ全員クチャラーだった可能性がある。
現に激しく不快になる人が一定数いる以上、もしも今の自分がクチャラーに該当するならば、もちろん改めるにやぶさかではない。けれども、そういう概念を知ってしまったことによって、ちょっとだけ自分が不寛容になるのもなんだかなあ、という勝手な感慨もある。
自分がそういう躾を受けてこなかったということは、親からそういうことを叱られた記憶がないことに加え、これまで飲食店で他人のクチャクチャをうざいと感じたことがないことからも分かる。いや、僕の実家は断じて躾のいいかげんな家ではないんだけど、そういうことは確かにやかましく言わなかった。
「食事中に口からクチャクチャ音を立てることは非礼である」という躾を受けたので、他人がそうすることに強い生理的嫌悪感を感じ、「クチャラー」と呼んで忌み嫌う人が結構いる、ということを今さら認識した。信じてくれない人も多そうだけど、これは僕にとっては「新しい常識」だ。