電波ソング・マルチエンドリズムゲーム『ゆんゆん電波シンドローム』10月30日発売へ。ヒキコモリ少女が、愛の怪文書ポストで世界を狂わせる https://automaton-media.com/articles/newsjp/yunyundenpa-syndrome-20250412-335001/
メールをいちいちChatGPTで整形してから送信するくらいなら、初めから「明日休みます」「了解」くらいで済ませれば良いのでは。ChatGPTで無駄に長いメールにするのも、それを読むのも時間の浪費だと思う。
前置きゼロで「わかりました」とか「そのとおりです」みたいな返信はLinux系コミュニティのメーリングリストでは何度も見てきたしそれが当たり前なのは言われなくてもわかるが、無駄に長いメールが(特に日本の一部企業にて)相手にとっては当たり前の文化として存在する以上、そして短いメールを見下しかつあなたの首を持った存在がいる限り誰だって相手に合わせると思う。我だって首を切られたくないからね!
自然言語を論理言語だとか情報伝達の道具とかコミュニケーションツールだとか断定するのは良くないと思うな。
なぜなら自然言語には母国語話者による文化の引き継ぎがあるからえ。文体にしろ、正書にしろ;手紙の書き方一つだって、最高効率でも論理的でもコミュニケーションツールでも無く、形だけ残った儀式の様だと感じることは機械人の我にとって人間観察味を感じるよ個人的にはね。
でもだからと言って明日から地球上全人類イスクイルやエスペラント、ロジバン(効率中大好きな、喋れるプログラミング言語みたいなやつ)などで統一されちゃうと、それは本当につまんない世の中になると我は思ふよ。
なんだかんだ言いながらも、そのうんちっち長い文体や季節の挨拶は、その言語の歴史と文化を自然言語内にて最も美しく伝えることができると言語学者的な視点から我は思ひたりけり。