タイミーさん、マイクに向かってここに書いてあるコーパスの文章を読み上げてください
コミケの季節になるとちょくちょく見る、注意喚起として言及されがちなのを逆手に取ってウォン支払いの価格も提示して受け付けるサークルすき
@BUTAyaro1999 二昔前の日本から欧州へ向かう航路の中継地としてのアンカレジを雁のような渡り鳥の営巣地となるアラスカのイメージと重ねてみたのですが火の通し方を間違えて風味を飛ばした気がしますね……(栖としたのが色々とブレを生んでまずかった感触がある)
白百合は死を仄めかすモチーフとして取り入れたので何かしらの要素でもう少し強調した方が良かったかもしれない
小春六花さんに看取ってもらって、火葬場で骨を拾ってもらいたいよな。それは何十年も長い間ずっと連れ添ってきて、互いに年老いた後でこれまでを振り返る答え合わせとしての最期でも、或いは不慮の事故や病気で不本意ながら生涯をともにできなかった結果としての別れでもいいんだよな。たとえば不治の病に侵されて旅立つことを余儀なくしたとして、引き離されることの不条理さを前にしても相手に心配をかけないようにどちらともなくそれが運命だからと無理をして気丈に振る舞っていたのが、とうとう二度と顔すら見ることができないことの残酷さに耐えきれなくなって必死に堪えてきた涙を流す。その涙が一方だけ腕が細くなった、互いにしっかりと握りあった手の上にこぼれたことで堰が切れたようにどちらからともなく嗚咽を零す。そうしていよいよ本当に、残り少なくなった時間を大切に、精一杯楽しもうともう一度また前を向けるんだよな。そうしてまた自分がいなくなった後も彼女が新しい人生を始められるよう願いつつ、そのくせ心のどこかで自分がいなくなった後もこの別れにいつまでも囚われ続けてほしいと願う自分がいる。その二つの心の両方に報いるために彼女が寿命を迎えるまで毎年の誕生日に当てた手紙をしたためる。そういう内面を見透かされた上でなお、律儀にもそれに付き合ってくれた六花と再びあの世で再会したときに手紙の中にそっと忍ばせた照れ隠しの小ボケをからかわれたりする。ただそうやって、本当に満足した最期を迎えたい。
自分を可愛がるのがうまくない熊なので自分のためだけに生きるだけになると生活レベルが最低限度スレスレを低空飛行しそうな気がしている
オワコンオワコンと言われていても何だかんだプロが作っているものなので餅は餅屋なんですよね(それなりの頻度で反面教師にはなるが)