2026-7-6 - Posting @tenjuu99@hollo.tenjuu.net -

23:44:29

NATOに招待されて、欠席の理由がトランプと会合の機会がないからって言ってしまうのすごいというか恥ずかしすぎるんだが https://news.yahoo.co.jp/articles/bf720b52b3c24f98d9f0125102b5a317f218b28b

高市首相、NATO首脳会議を欠席へ トランプ氏との会合なく(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
20:33:56

もののけ姫とかそもそもヤマトによって辺境化された民族が主人公だし。調和を図る日本哲学による周辺民族への圧迫を歴史的にずっとやってきました、とかを外交ツールにしていこう(?)

20:25:18

海外で人気を集める日本の映像やアニメ作品に通底する自然信仰などの思想も「外交ツール」として活用できると見込む。

って某アニメ監督が想定されてるんだろうけど、本人が聞いたらタタリ神になりそうだ

20:13:07

えっなにこれキモすぎてすごい https://www.yomiuri.co.jp/politics/20260704-GYT1T00182/

国際社会に日本の「理解者」増やせ…聖徳太子の「哲学」・アニメ作品に通底の「思想」など新興・途上国に発信
18:35:13

天幕のジャードゥーガル、モンゴル兵がモンゴル語っぽいの喋っているのすげーってなったけど、力士なのか

17:24:17

近衛文麿による昭和研究会とかに三木清みたいな左翼が参加していたりもするから、伝来の日本中心主義的な東アジア観(近代以降東アジアは日本中心に再編される)みたいな右派的・ナショナリスティックな観念がまず先行的にあって、左派・中道を納得させるための方便として大東亜共栄圏・脱植民地主義・反西洋中心主義みたいな観念が政府に採用されてきていた、と見るほうが説得的な気はするな。

17:16:33

八紘一宇とか大東亜共栄圏とか、理念としてはまあある程度対等な国・民族同士がアジアで共栄圏を形成する、という建前があり、ナショナリズムというより一種の世界主義だとおもう。ただ、当然伝来のナショナリズムが払拭できているわけもなく、国内向けに右派を巻き込む形で主張すると、日本中心の秩序が暗黙に含意されてしまう。あるいはこっちのほうが先行的形態で、左派・インテリも納得できるように世界主義的な主張として後付けで大東亜共栄圏がでてきた、というほうが正しいかもしれない。学者とかインテリはわりと素朴ではあったという印象はある。 京都学派は海軍側からの依頼で、陸軍を牽制してほしい、というのがあったらしく、いろいろねじれた主張をしているけど。

17:02:37

京都学派周辺は、ナショナリズムというより帝国主義という印象がつよくて、岡倉覚三の「アジアは一つ」みたいなのとも繋がっているという印象がある。あと、全体主義とナショナリズムを同一視していいかもちょっと保留したい。あの時期のインテリ、ある意味で汎アジア主義的な観点から日本の立ち位置を見直せという主張が多くて(右派もそれなりにおおいけど)、アジアの脱植民地主義化=大東亜共栄圏という主張をして、軍部もそれにのっかっている面はある。軍部がのっかったのは、インテリを統制すれば宣伝しやすかった、とかの計算があるのかどうかはよくしらない。

16:55:27
2026-07-06 16:38:06 Posting サトマキ satomuch@fedibird.com
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16:24:17
2026-07-06 16:18:15 Posting まめも mamemomonga@momo.mame.moe
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15:52:22

現代のようにあらゆる土地がなにかしらの国家・資本・個人の管理下に置かれると思考されるというのは、この無縁・公界の消失を意味している。 開山期間外の富士山の登山を禁止する、というのはこの一つの兆候ではあり、そもそも山の管理なんて県とかがしているわけがないから「禁止」という行為ができるわけもないのだが、それゆえ登山家は期間外であっても普通に登っていたのだが(ようするに山は誰のものでもない)、いまでは富士山はある公共団体の管理下に置かれているかのごとくに考える人が多くいる。「誰のものでもない」場所が消滅しつつある。

15:43:28

侍とか家を背負った存在ってどうやったところでヒストリカルな存在で、出家して歴史を捨てるのはある意味アイデンティティを捨てるということに等しかったんだろう、と適当なことを考えてみる。

15:40:08

「無関心という名の包摂」、網野善彦的にはまさしく無縁・公界がその機能を持った場で、縁切り寺とかで「縁」が切られたら過去とは隔絶しているわけだから過去を詮索する必要はないし、それゆえ犯罪者であっても無縁においては関係がなかったわけですよね。それはいまでもお遍路様とかそうなんだとおもう。 排外主義が個人のアイデンティティを強固に問いつづけ、その歴史性を負わせることに対して、無縁・公界という場はそうした歴史性は問わない。ハイデガーの場合、主体はかならず歴史性を背負わされている。

15:36:08
2026-07-06 15:32:50 Posting サトマキ satomuch@fedibird.com
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15:26:49

サトマキさんに言及されて思いだしたけど、「無関心」を肯定的に見るのは、宇野常寛の「庭の話」とだいたい並行ではあるとおもう。宇野氏が共同体から離れろという主張するのも compartment 内のケア共同体から離れろということにおおむね等しい。彼はケアの焦点をモノに移しかえるけど。

15:21:43
2026-07-06 15:09:30 Posting サトマキ satomuch@fedibird.com
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15:13:52

care ってフェミニズムの方面からでてきている印象あるけど、個人的にはハイデガーをとっかかりに考えていて、とはいえハイデガーに限界があり、彼はこの種の compartment と care の関係は肯定的に見て、「無関心」という care の様態はネガティブに見ている。このへんがハイデガーであるなとおもうんだけど、こういう観念に網野善彦の「無縁」とかを対比的に考えると、「無関心」というモードはむしろポジティブなものとしても把握できるなと。それは無縁/公界が compartment ではないからである。

15:07:29

以前展示してくれたルイス・デヴィッドソンの作品から care と compartmentalization(区画化) について考えていて、どちらもルイスが言っていた言葉なんだけど、 compartmentalization はゴミがみつからない、みたいな経験に根差している。それぞれの区画にゴミが収まるみたいな。

ただ、これがケアとの関係で言いはじめると、区画化というものが、ケアの境界を明確にするものだと考えはじめている。ある区画内のモノ・人間はその区画の住人にはケアの対象になるが、その区画の外のモノ・人はケアの対象にならない。ゴミを捨てるとは、それ自体がそのモノをケアの対象から外して区画の外に追いやることである。

こういうの考えてみると、ある種の同族的なものがケアの対象であり、「compartmentalization 区画化」とここで呼ぶものは、排外主義というのはまさにこういうことだなとを考えていた。「いやなら国に帰れ」という言い方は compartment の外部に追い出して、ケアの対象としないということでもある。compartmentalization と care はセットで権力作用であるとも言える。

14:59:26
2026-06-23 23:02:23 Posting サトマキ satomuch@fedibird.com
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01:24:44

武蔵境において武蔵野は尽き、あとは無限に多摩が広がるだけ

00:45:48

@KitaitiMakoto @pokarim めっちゃ長文感想ありがとうございます!!たいへんおもしろかったです。ちなみに、しれっと公開レポジトリにしてしまったんですが、大丈夫でしょうか?