“土井たか子さんが残した資料の山が動いた 没後10年、母校へ寄付決まる 女性初の衆院議長が歩んだ道のりは:東京新聞 TOKYO Web” https://htn.to/2ZtGdDPppT
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旧PCにグラボ追加するとかすればよかったのだが、ぐずぐずしているうちに、CPU(Intel Core i7-4790)がWindows 11サポート対象外になってしまったのでな
旧PCでは、2枚目のディスプレイの解像度が下がってしまうという問題があったのだが、新PCではこれが解消されたので、特に職場PCの2画面環境をリモートで再現する際のストレスがなくなって素晴らしいですね。
傾向は明確でおもしろいけど、個体ごとの性格(?)がけっこうありそうなのもおもしろい。
通常オス1:一貫して精力的に他オスを攻撃し、メスに求愛し、交接回数も多い。
通常オス2:他オスへの攻撃性は低いけど、メスにはまめに求愛し、交接回数もそこそこ多い。
通常オス3:通常オス1と似た傾向。
通常オス4:若干他オスに求愛しがちだが、メスにも求愛し、交接回数がきわめて多い。
変異オス1:他オスへの求愛にも、メスへの求愛にも積極的で、かつメスへの攻撃性がそこそこある。両性を相手に交接回数も確保。
変異オス2:他オスへの求愛に積極的だが、メスに対しては求愛と攻撃が同程度。オスとの交接回数は多いが、メスとは交接していない。
変異オス3:他オスにまったく興味なし(攻撃も求愛も、ましてや交接もしない)だが、他メスには求愛も攻撃もするし、かなり交接もする。
変異オス4:他オスにあまり興味なし(ちょっと求愛して交接するくらい)で、他メスにもあまり興味なし(ちょっと求愛して交接する)。
“求愛するか、攻撃するか ――男性ホルモンの働きが弱まると、メダカのオスは判断を誤る―― | 東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部” https://htn.to/2f8X1ExZrQ
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ライクライク嫌いだったけどがんばって逃げずに倒してるうちにだいぶ平気になった。ダメージはくらわないんだけど、なんかもうちょっとこう上手にサクサク倒したい。
着いてみたらBGMがほかの鳥望台と違ってネルドラのやつで、えっどこかにいる? とキョロキョロしても見つからなかった。この鳥望台だけのBGMなのか、わたしがネルドラ見つけられなかっただけなのかどっちだ(もっかい違う時間に鳥望台に行けばいいだけか)
ハイラルダケミッションあとひとり(たぶんトコユちゃん)。おかげで村人の顔すっかりおぼえてしまった。
しかし、ガノンドロフがらみの世界の異変でもなくキノコだらけになってるの、わりと怖い異変では。
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@legnum ほかに、板を長くつないでところどころに扇風機を設置したやつを作り、縦に立てて扇風機トーレルーフで上まで上って、そこからパラセールでゴール、っていうのも見た。むしろ頭柔らかすぎでは??ってなったよ
@wackyhope ありがとうございます!
確かに「感情によって物事を判断すべきではないし、自分は感情に左右されない(と思い込んでいる)人達」の方が正確だと思います。男性にはそのように生きるべしという社会的圧力がかかりやすいのかなと勝手に思っていますが、女性にももちろんそういう人はいますものね。
最後のレールはその前のレール用に作ったやつに扇風機つけてすんなり行けたけど、例によって世の中にはいろんな解法がある。
あなたなら私を理解できるでしょう、という期待が大きければ大きいほど、その相手に無視されたり軽く扱われたり石を投げられたりしたときの落胆や怒りは大きくて、かわいさあまってなんとやらがあらゆる立場で起こってしまったという。
その落胆や怒りがどうにかして癒やされない限り続くのだろうな。どうすればいいのだろうね。問題の根幹にあるのは感情のはずで、特に男性は自分の感情に向き合うことに慣れてない人が多いから。
科学コミュニケーション・リスクコミュニケーションの問題に戻ると、「正しい知識」の普及に努めていた側が根拠にしていたエビデンスにもわりと問題はあったし、特に宮崎早野論文の問題に腰が引けてたのはよくなかった。
依って立つエビデンスの限界を正確に認識しつつ、それでもどこまでは大丈夫といえるのか、どこはまだ不明だから保留にするか警戒すべきかを、日々友好的に対話して互いに反省もしながら前に進んで行ければよかったのだけど、それぞれの派閥に閉じこもってしまってそれができなくなってしまったのがもどかしいし痛恨。
小さいところだと、PTAとかでも似たようなことはほんとうによく起こる。
現場で汗流して走り回ってるボランティアたちに、あれがダメこれが足りてないむしろ迷惑とか文句だけ言いながら、結局はその恩恵を享受してる人なんていっぱいいるからね。
わたしは、自分がボランティアを引き受けた以上、評価してくれ労ってくれというのはダサくて不毛で、自分の価値を強調すればするほど逆効果だと考えて黙って行動する派ではあるものの、所詮はわたしの美学にすぎないし、むかつくものはむかつく。ただ、口に出すならまっすぐむかつくって言う方が気持ちいいなと思う。
東電原発事故や新型コロナという未曾有の災害に直面して、いろんな人がそれぞれのバックグラウンドや専門知識を還元できるように、それぞれの立場からできることをして、人々や社会のために役に立とうとしてきたと思うのだけど、自分がボランティアでそれをやっていることをどう認識しているか問題というか。
まだ「科学クラスタ」と「STS」で揉めてるのを見ながら考えてたんだけど、これって科学コミュニケーションの問題というか、ボランティア論の問題のような気がしてきた。
というのも、発端(?)の 林智裕さんが
"加藤さんも私も、アカデミズムの主流や科学リスコミ、中央マスメディアなどが本来やらなければならなかった仕事をやったんだと思う"
"ただ、東電原発事故にせよ、新型コロナ禍にせよ、本来その立場に無かったにもかかわらず奮闘し理不尽に堪えて献身的に尽力した人達をちゃんと認め、労ってほしい。
「何事も無かったかのように」は、流石に厳しい。"
とおっしゃってるから。