TOWNSがオーディオビジュアル面で先進的かつある意味古典的(8bit機ではよくあったって意味で)だった点として、ハードウェアの標準の仕様としてビデオ入力を備えてた事かも><(ただし入力カード自体は大半の機種で別売り><(テレビチューナつきモデルのはテレビ映すために標準装備))
TOWNSがオーディオビジュアル面で先進的かつある意味古典的(8bit機ではよくあったって意味で)だった点として、ハードウェアの標準の仕様としてビデオ入力を備えてた事かも><(ただし入力カード自体は大半の機種で別売り><(テレビチューナつきモデルのはテレビ映すために標準装備))
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Windows 3.1の話題で思い出したけど、PC-9821(? 01?)のWindows 3.1モデルでテレビチューナーついてたやつが、テレビ視聴アプリをアイコン化(タスクバーなんて無かった)すると、アイコンが放送画面になる仕組みでカッコよかった><
(のでそれに対していまだ憧れがある><;)
アメリカとかの双方向切り替えて使えるトンネル、路面にどっち向きの車線かわかる矢印ランプがつくようになってたりする><
日本だとこういう切り替え行う道路、危険といわれて嫌われてる感じだけどそれはそれとして、欧米(少なくともアメリカとフランス周辺)では、トンネルに進行方向の信号つけて結構気軽にどっち向きにも使えるようにしてる事例すごく多いのに、日本でそうしてる所とか有効活用してる所あんまり聞いたこと無いの謎かも><
(活線で色々維持できてすごいとも言えるかもだし、臨機応変出来ない構造になってないとも言えるかも><)
ハドソン川直下を渡るリンカーントンネルと接続道路、平日 朝6時から10時までニューヨークから出て行く側の車線のうち1つをバス専用レーンにしてるらしいんだけど、交通量の多さもあいまって対面通行が怖すぎるカオス道路になってる
この先にある Port Authority Bus Terminal はバス停が223個あるアメリカ最大のバスターミナルで、1日7,000台も来るらしい。
A Ride on the The Lincoln Tunnel Exclusive Bus Lane leading to New York City. - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ht7LhJse9CM
notestockで検索しても見つからなかったから記憶違いかもしれない><;
これはあった><;
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/103645939167331932
ちなみに1台だけ作られたZZ2→RS-01は買い取ってZZ2に復元したらしい><
って前にnere9でも話題になった気がする・・・><
ていうか、オートバックスに潰されたので、デザイン流用と言うのは変だけど、決別後にオートバックスに頼らずZZ2を出すって事でできたのがEVのやつ><
RS-01は結局オートバックスの完成者事業撤退で消滅したんじゃないっけ?
EVのZZはRS-01とは無関係だったような……
これ><
Tommy Kaira ZZ-II '00 | Gran Turismo Wiki | Fandom https://gran-turismo.fandom.com/wiki/Tommy_Kaira_ZZ-II_%2700
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第19回 | GQ Japan https://www.gqjapan.jp/cars/article/20200719-tomita-auto-19
>実はこのとき、トミタ夢工場の社内検討会でも、ドア無し派とドア有り派で意見がふたつに割れていた。解良は軽量化と生産性を考えてドア無しにこだわった。けれども富田はドア有りを主張した。
ドアの詳細について書いてあった
GTNET 広島ブログ >> 超希少車!!インプレッション! 詳細ページ( 2010年12月12日 ) - https://www.gtnet.co.jp/blog_hiroshima/index.php/archives/18
意味不明なドアすき
メリットがある場合にメリットを優先してそういう選択をするならわかるけど、無益に無知な者が誤解するようにするのは文字通り無益で余計な事でしょ><;
もちろん誤解させる事が目的であれば誤解させる方がいいけど、翻訳は誤解させる事が目的では無いし><
「誤解」というのは無知あるいは悪意ある利用者の力量においていくらでも可能なものなので、人間を信用していない私は「誤解の余地をなくす義務を強くする」ということに関しては無条件に賛同できないところがある
言葉を結合したとき分解して考えるのはヒントではあるけど、それを canonical なものであるとして扱うのは駄目でしょう
「誤解が生じる」はそもそも命名に関しては慎重に扱う必要があると思っていて、「弱い力」は本当に弱いのかとか、ゲームにいくら強くても「弱いAI」であるとか……
誤解が生じる危険が無いのであれば、冗長でもまあうん。。。だけど、さっき○×泥んこクイズで例示したように、誤解が生じるデメリットがあるのになんでつけるのか?><; って言いたい><
少なくとも「なんか付いてるけど外せるよね」と「なんか付いてて破綻してるよね」は区別すべき
だからなんでそんなナンセンスなもの(領域?)を除外する語をわざわざつけるの?><; って言いたい><;
「いかなるものにも影響を与えないものをどう認識すればいいんですか」みたいなナンセンスな問いに見える
そうじゃなく、あらゆる面で「結果」と言えない物、例えば選択や行動等ですらない物であらゆる意味で結果を一切含まない責任ってなに?><;
だから、らりおさんが言うような「あらゆる一切の『結果』」では無い事に関する責任ってむしろなに?><;
うんそうだね><;
「対応責任」も「結果対応責任」って書く方がいいかもね><;
って言えば意図通じる?><;
結果(けっか)の意味 - goo国語辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%B5%90%E6%9E%9C_%28%E3%81%91%E3%81%A3%E3%81%8B%29/
> ある原因や行為から生じた、結末や状態。また、そのような状態が生じること。
「将来特定の判断や行動をするような状態が生じたこと」それ自体も、辞書的な定義から見て「結果」だと言えるでしょう
べつに私は拡大だと思ってないです。結果は因果の「果」だし、状態変化は立派に「何事か起きた」部類に入るでしょう。
結果の意味を拡大してしまってわざわざつけるやりかたしたら、結果ってつけなくても意味変わらないでしょ?><
だから、「将来そのような判断/行動をするようになっている」という現在の状態は何らかの因果により発生したものなのだから、その「状態」は「結果」でしょう
変な言葉になるし長いからそうわざわざ書くのもアレだけど、たとえば「意思決定説明責任」って翻訳するならオレンジも納得するかも><
これで言う所の『○に飛び込んだら泥んこプールでした』以降に限定するのであれば「結果」ってわざわざつける意味わかるかも><
でも、むしろその逆で、accountabilityは実際に試行する前からついてまわるでしょ?><
○×泥んこクイズをするとする><(不正解に飛び込むと泥んこプールになってるやつ)
「○に飛び込むことにしました」
↑この段階(『決断した』)に対してわざわざ「結果」と言うのどういう事?><
○に飛び込んだら泥んこプールでした
↑「結果」はここで出てるでしょ?><
そもそも「結果」は選択や決断や行動によってのみ発生するものなんですか? それがわからんのですが
"何らかの選択・決断を行った、選択という行動で結論を出した事を指す『結果』という意味にすると"
これの事じゃんその「した」って><
だったら、なぜ実行・判断されていないことを「した」と表現できるんですか? それ日本語の綾では?
> 例えばなんらかまだ実行されていない選択に関してなぜその選択をしたのか? に関しても
ここで「したのか?」と自分で過去形を使っている以上、その「した」が過去と見做せる時点があるはずで、であればそれも何かの「結果」であるはずですよね
例えばなんらかまだ実行されていない選択に関してなぜその選択をしたのか? に関してもaccountabilityって使うよね?><
その場合実行はしていないので実行した上での結果に関するものは含まれて居ない><
で、何らかの選択・決断を行った、選択という行動で結論を出した事を指す『結果』という意味にするとそもそもそもそも、何らかの選択決断等を行っていないものに関して説明も何も無いわけで、なんで結果ってつけるのかと><
work が仕事でもあり成果物でもあるように、結果というのも行動の末の現象であったり行動の末に残った物質であったりする、そういう世界観ってそんなに変ですかね
説明責任ならよく聞くし、英語の文書で出てくるaccountabilityとも矛盾しない気がするけど、結果ってつけると結果ってなによってならない?><;
派生でついでに言うと、マストドンとかでも発言を消しまくっていたら、自分がなにか書いてもあとから検証されることを逃れてしまうので、オレンジは基本的に書いたら消さないし、逆に発言消しまくる人に「・・・・><;」って思うのもそういう事><
ていうか元々の話が忘れ去られてる気がするけど、品質が良いものを作れなかった時になにかペナルティを受けるわけでもない状況で品質が良いものを作ろうとだけ思っても、反省が伴わず品質が良い物はうまれない的な事が言いたい・・・><
(というか最初の方でちゃんとそう書いたような気がしなくも無い><)
オレンジは20年ちょっと前からわりと最近まで『責任』という言葉を極端に嫌ってたけど、逆に最近使うようになって、それは日本語の責任って言葉の英語では複数の言葉に分かれているものを一つにまとめてしまって曖昧さがアレだけど、responsibilityとaccountabilityであれば日本語とは違って具体的にどういう行動かを指せるって気づいたから><
このへん><
2018年6月12日 - orange_in_space@mstdn.nere9.helpの投稿 - notestock https://notestock.osa-p.net/@orange_in_space@mstdn.nere9.help/20180612/view#note_df532fd62d7bf8ac669cfbbcbc82b523
だから、ソフトウェアでのバージョンアップしろとか使うなとかこっち使えみたいな話は、それを言った人が何かを保障するわけでは無いのでヒント程度であって必ず従うべきではないって、何回か過去にも書いたかも><
ハードウェアの話をソフトウェアに持ってくんなとか、プロプライエタリと自由を一緒にすんなとか、そういう話はそういうことです
そんで製造物責任法とかは、 (それが明示されているかは知らないが) 「個人が自分の所有物の詳細まで検査することは不可能なので (なぜなら仕様非公開だったり分解・組立に特殊な機材が必要だったりする) 、その知識を持っている製造者に任せる」という一面はあるだろうと思っていて、これを「ユーザがすべての部分を精査し、分解・改造・組立がそれなりに容易である」という性質を持つ自由ソフトウェアに無批判に適用するのは文脈を無視した暴論でしょう。
消耗品や整備に関してユーザーに責任があるのはそれはそうかも><
でも、それが使用不能になるような致命的な欠陥(製造上あるいは設計上の欠陥と言い換えてもいいかも)は当然リコール対象になるし、逆に言うとユーザーがメンテし続ければ使い続けられるような問題であれば、それはメンテの問題であって製造者責任の範囲では無いかも><
ソフトウェアの場合も同様で、使い続けられるのであれば問題ないだろうし、すぐに使用を諦めるように言わなければならないほど重大な製品の欠陥であれば当然ながらユーザーの責任と言うのはおかしい><
ユーザーが問題があるコードを書いたわけでは無いし><
昨日自転車のブレーキがきいたからといって、今日の凍結した路面で同じようにブレーキが効くとは限らない、そこで危険性を確認するのはユーザの責務でしょう。
ソフトウェアだって同じで、昨日実行できたからといって、今日のオンライン環境や外部入力に対してセキュアであることを確認する (あるいは自分の責任においてリスクを受け入れる) のはユーザの責務。
自転車に乗る前にブレーキが効くことを確認するのは当然のこと
「そもそもソフトウェアは無保証で、誰も責任なんて取らない」という話であれば、それは新たなバージョンでも全く同じことで、「バージョンアップしろ」と言っても、バージョンアップした事による何らかの損害に誰かが責任を負うわけでもない><
(例えばそれによりハードウェアが故障したとしても、バージョンアップしろと言ったやつが代替ハードウェアの購入資金を払うわけでは無い><)
そういう事では無い><
単純に露呈していない致命的な欠陥がある可能性があるという話であればpython 2だろうが3だろうが同じかも><
致命的欠陥は"そんなものは修正すればよろしい "と言っているけど、python 2の既知の致命的な欠陥は修正されているのか?><
そして、新たな致命的な欠陥が露呈した時に修正されるのか?>< と言ってる><
修正されないのであれば、"そんなものは修正すればよろしい " は成り立たない><
そもそもオンラインの世界において「致命的な欠陥など (将来においても) ない」というのは、それこそ監査でも受けていない限りは (監査を受けていても) 信用できない言説なので、そういう仮定を想定する時点で論外ですね
意味がよくわからないけど、現在python 2を使う続ける事は致命的な欠陥があり危険なのか、それとも致命的な欠陥など無く使用し続けられるのかどっち?><
たとえばソフトウェアのバグ修正は頒布元から公開されますよね。
で、それはハードウェアの欠陥の修理受け付けと何が違うんですか?
それならば、python 2も運用し続けても致命的な問題が起きない程度に、致命的な欠陥は修正され続ければいい><
orange 氏の言う「欠陥」は致命的な不具合であって、そんなものは修正すればよろしい (というか私はそれを修正するべきだと言っているけど)
その危険なものを作ったのはソフトウェアの製造者でしょ?><
ハードウェアであれば欠陥が露呈したら製造者の責任になるよ><
そして自動車の場合、いまのところ製造者が無期限に責任を負う(リコールを行う)ことになってるよ><
古いソフトウェアをオンラインな環境で使い続けることは、「世界が攻撃的に変化することは不可避なのに、その攻撃によって他者をリスクに晒すことを防ごうとしない」という間接的な攻撃行為なのであって、そんなものが正しいわけがない
外部ネットワークやメディア等に繋がらないスタンドアロンだったり閉じた環境におけるコンピュータであれば、20年前だろうと40年前だろうとソフトウェアがそのまま動くのが良い、まあそれはわかる。
ただ、それは単に動かしてあとは致命的なバグを修正していれば自動的に満たされる要件よね。ソフトウェアは劣化しないんだから。
欠陥付きの製造物の欠陥の責任は製造者にあるんだよ><
ソフトウェア界隈はその基本的な事を忘れているか都合よく無視しているよ><
そこに「互換性」を求めるのは、欠陥付き製品にしがみ付きたいユーザの要求なんだから、そのコストはユーザがコストを支払うべきでしょう。工業製品は知らんが。
さっきのリコールの例だって、製造元が後継企業もなしに潰れていたらどうするんですか
そのオーパーツの代替品を作る責任をpythonの互換性を切る側が持てって言ってる><
(そしてさっき書いたように、ユーザーからお金貰ってやってるわけでは無いのでそれは現実的では無い><)
もっと言えば、「Python 2 のサポートを切るよと10年くらいずっと言ってるのにアップデートされないライブラリ」というのは、
* 作者が死んだか何かでメンテされていない、かつ
* 利用者の誰もそれを修正するに十分な理解や能力を持っていない
ということであり、そんなメンテ不可能なオーパーツはさっさと駆逐されるべきだった
あるいはpythonの仕様を決めてる人々が世の中の全てのpython 2で動くプロダクトをpython 3で動くように書き換えることに責任を持つのであればそれでもいい><
でも、ソフトウェアの責任はそうはなっていない>< そもそも2のユーザーに金を貰っているわけでもないし><(寄付した人入るかもだけどそういう事じゃなく)
たとえばpython 2が3以降のバージョンに並行して無限にサポートされる世の中になるのであれば納得するよ><
でも、サポート切られたよね><
互換性とかいう概念、過去と未来の両方に闇要素があって地獄なので振り翳すには非常に慎重にならざるをえないし、慎重になってなお人間の愚かさゆえ必ず破綻することを前提に行動しなければならない
そもそも私は「致命的なバグ修正はする」と言っているのだから、氏の出したリコールの例で言うところの「修理」はちゃんと受け付けているでしょう
例に出してる自動車産業は、むしろ製造物責任や社会的責任の声の高まりで厳しい目に晒されるようになってからそれに合わせる形で急激に技術発展した(その中で日本車も有利になった)と言う歴史を持っている><
結局の所、無責任で済むような状況では消費者を蔑ろにした物が許されて品質は向上しない><
だからオレンジはソフトウェアが物理的なプロダクトのような製造物責任になっていない現状はおかしいし、「まだ発展途上の分野だから・・・」と言う言い訳を少なくとも30年ほど続け、それどころかオンラインアップデートが可能になったら既知の瑕疵があるままリリースするのが当たり前って、より悪化した事がおかしいって言ってる><
問題にすべきだとしたら、そういうインフラの欠如した社会こそを問題とすべきなのであって
そもそも「自分が使っているソフトウェアの状態について継続的に監視する責任」というのはユーザ自身にあるのではないかという話です (もちろん、それを自動化するようなインフラには社会的な意義もあるし大歓迎だけど)
これが例えば物理的なものでありなおかつ金銭のやり取りがあり、かつ人命に係わるものであればとてもわかりやすい><
ナショナルFF式石油暖房機を探しています - パナソニック - Panasonic https://www.panasonic.com/jp/top.html
特に現実的なソフトウェアではソフトウェア製作者がユーザーに対しての責任を追うわけでは無いし多くの場合無償のやり取りになってしまっているので、
『古いものを使わせないようにする』に関して現実的にソフトウェア作者はユーザーに対して何の保障も行わないので、保障としてもペナルティーとしても機能しない><
つまり、作者が責任逃れするだけであると言う問題になる><
はい、だから A-2.0 は A-1.0 と「互換性がない」ことを了承されるべきだし、「間違ったものとの API 互換性を保つことは正しくない行いである」と考えている、と主張しています
製作物を公開してしまったのであれば、それが良くなかったとき「これは良くないものだった」と人々に周知させ、良くないものから人々が離れられるようサポートすることこそが社会的責務なんじゃないですかね。
古き悪きものを継続して使い続けられるようにするのは必ずしも “正しくない” と感じる。
話がよくわかんなくなってきてるけど、1.0のユーザーが2.0を1.0と全く同じように使える事を「互換性がある」って普通は言うんでは感><
だったら結局実質的には「使わなくてもよいが、 A-1.0 のユーザは A-2.0 相当の API を利用できる」と言っているのだから、追加の API を A-1.0 に実装しろと言ってるじゃないですか
だいたいあってるけどちょっと違うかも><
"A-1.0 は裏で A-2.0 を使うよう書き直され、"
ここまではそう><
"しかも A-2.0 で追加された機能なども A-1.0 のインターフェースで利用可能に"
これはそうじゃなく、追加された機能は追加されたインタフェースで同時に使えるようになっていればよいし、なおかつ追加された機能を使用しないのであれば1.0と見かけ上出来る限り全く同じように動くようにする かも><
私には、 orange 氏は「A-1.0 は裏で A-2.0 を使うよう書き直され、しかも A-2.0 で追加された機能なども A-1.0 のインターフェースで利用可能にならなければならない」と主張されているように見えるので、それは何か変じゃないかと。
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/106000687080563365
legacy な A-1.0 のメンテナンスは重大なバグの修正のみについて受け付ける。
modern な A-2.0 の開発は機能追加とともに行われる。
A-1.0 のユーザは、 A-2.0 に移行することが強く推奨される。
↑これで「責任」は果たされてるんじゃないんですか?
「致命的なバグ等を修正するだけでは、 orange 氏流の『責任を持つ』に何が足りていないのか」を知りたいということです
オレンジはそうとはまったく考えてなくて、かつては物理的なプロダクト、例として最もわかりやすいのが自動車で、作ったらそれまであとシラネで済んでたけど、消費者の権利を重視していく社会の流れで売ってから20年経ってようが「駄目だったらリコールして無料でなおせ」になったわけで><
物質産業と違ってソフトウェアは (特にソースコードとビルド手段がユーザの手元にあるときには) ユーザ自身が自分自身へのサービス提供者となっているわけで、その基盤維持はあくまでユーザ自身が行うべきですよね
個人的には、プログラムはリリースされた時点での想定で動くことが最低限の要求であって、その後5年10年の環境に追従させる義務というのはユーザ側にあるという認識なんですよね私は。
たとえばその「追従させる」というのは、開発者が存命で活動していれば「新しいバージョンを使う」ということかもしれないし、プロジェクトが停止しているなら「自分でパッチを当てる」ということになる
よくわからない・・・><
「依存ライブラリが消えちゃったので使えなくなっちゃった!」みたいな事にも責任持つのかみたいな意味?><
で、 orange 氏の「使い続けられる」の基準がかなり不明瞭なんだけど、たとえば依存ライブラリのバージョンアップとかは含まれるんですかね
たとえば、依存ライブラリや環境の変化を考慮しなければ、「最低限のバグ修正」だけでも十分に「永久に使い続けられる」に相当すると思うんですよね
私としては、「誤っていてより良い代替が存在している場合に、機能追加のような (致命的な問題の修正以外の) 改善を加えることは、望ましいとは思えない」というスタンスであって、そこのところ orange 氏的な「責任を持つ」やり方はちょっと素敵でないと思っています
出来る限り永久に使い続けられるようにする事をし続けるのであればresponsibilityがあると言えるかも><
で、accountabilityの方は「どうしてそういう仕様にしたのか?」「そういう作りにする事がどう妥当なのか?」、そして過去の誤りであれば「どうしてそれが正しいやり方と思ってしまったのか?」「そしてそれはどういう誤りであったのか?」「どうすればその誤りを繰り返さずに済むのか?」そのような事をしっかりと説明できる常にしておく事かも><
私は「誤ったものを使い続けるうえで致命的な問題になる部分の指摘や修正を受け付けているならば、十分に『責任を果たして』いる」と考えるんですが、たぶん orange 氏はそれでは足りないと考えているんですよね?
だから誤ったものに責任を持つのはそれはそうでそこは否定していなくて、 orange 氏の言う「責任を持つ」の形が私にとって責任を持っているように見えないというか、そこで噛み合ってないんじゃないかという話をしています
これが完璧なものであるかはわからなくても、後でそれが誤っていたと気づいてもその誤っていたものに関しても責任を持てって言ってるし、そのつもりが無いものを完璧なものと言うべきでは無いし、
(この辺りで本題に戻るかも)究極には完璧なものを作れないとわかっているのであれば、究極に完璧なものを作る事だけにこだわるなって言いたい><(自分で部分的に過った部品を作ってしまってもとりあえずそれ使えって事になる><)
人間は初手で正解を引けるほど賢くはないし、永遠にそんなことを期待しないので
過去の間違っていた自分との一貫性を保つ方が碌でもないと思うので、やっぱり相容れないですね
連続な更新ってつまり一貫性なわけで、途切れさせるって事は「一貫性を持ちません」「私がこれからやる事について将来にわたって責任を持ちません」って言ってるのと同じなわけで、そんな責任逃れしててペナルティーが無い状況でまともなものが出来るわけが無いって言ってる><(まともなものが出来なくても許されるって事だからね><)
たぶん「単一の目的で単一のプロダクト (の連続な更新) を使い続ける」という想定だと思うんですが、そもそも私はそれが適切な運用だと思っていないので。
それはそうでそれは単純に無限にサポートすべき(毎回逃げてたらいいもの作れない)って話で、古いインタフェースも残せって話になるかも><
私が言っているのは、たとえば内部実装の話でなく「インターフェースやアーキテクチャがクソだった」という可能性もあるわけで、そこで「新しいインターフェースで実装されたものを古いインターフェースで利用できます」って、本質的な部分が何も変わってないじゃないですか
オレンジが互換レイヤよういしろって言ってるのは、
つまり前のやつは駄目だったんでしょ?><
でも前のは前の仕様で出しちゃったんでしょ?><
新しい方が優れてるんでしょ?><
古いほうを使い方を含め信用してしまった人が新しい方に置き換えられるように互換レイヤは必要では?><
って言ってる><
「駄目でした」と「永久にサポートし続けます」は両立すると思うんですが。
要は「今度のやつは完璧です!前のやつは駄目でした!」って言うんじゃなく「今度のやつは永久にサポートし続けます」って言うんじゃなきゃ何の責任も負わないんだから完璧なものなんて出来るはずが無いの当たり前><
いい物を作ると言うなら逃げるなって事><
毎度おなじみジーンクランツのスピーチのtoughの部分><
’Tough means we are forever accountable for what we do or what we fail to do. We will never again compromise our responsibilities. ’
wikipedia日本語訳(微妙><;)
"タフとは、自分がやったことや失敗してしまったことについて絶えず説明責任を持つということだ。自分の責任について妥協することは決してあってはならない…。"
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD1%E5%8F%B7
それは、「今度作るやつは熟慮したから大丈夫です!」も同じかも><
そうじゃなく「これは万が一問題があったとしても最後まで絶対に責任を追いつづけます。逃げません」って言えっていってる><
逆に「熟慮したから大丈夫です!」の方がよほど信用できなくないですか?
「あれやっぱ駄目だったわ。使わないで」で済ますやつが「今度はだいじょうぶだから!」っていうの信用できるか(どこにaccountabilityがあるのか?><)って話><
自分が作ったから良い悪いプロダクトって話じゃなく、何かを作るからにはaccountabilityとresponsibilityはしっかり持てって話で、それが出来ないなら作るなって言ってる><
私は対極の思想ですね。過去の自分は絶対に愚かなので、過去自分が書いたという理由は絶対にコードを評価するうえで価値としてはいけない
これはオレンジがよく言ってる「作ったからには無限に互換性を持たせる枷を自分につける」って話があれかも><
なんらかの大きな設計変更をするにも、必ず互換性を維持するように互換レイヤを作ったりする>< ある意味自分への罰として><
そこから逃げるとまた一貫性の無い雑な物を作ってしまう><
たとえばコンポーネントを入れ替えられるような仕組みで書き始めたとして、コンポーネントがどれだけマトモでも「入れ替え可能にするシステムの仕組みが気に入らん」となったら根本的に作り替えることになりかねない
あと、「気に入らない」のレイヤーがコンポーネントの出来ではなく全体のアーキテクチャについてだったりするのも厄介
達成目標を細かく区切る事が大切なのってつまりこういう事かも><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/106000542658342385
(つづき)(オレンジすごくいい事言ってる!><(自画自賛))
たとえば(数字が低い方が低品質として)品質レベル1のものがあったら、レベル2のものを作ればひとつの目標を達成した事になる>< 次にレベル3を作れたらそれも達成になる><
何も無い状況でいきなり完璧なものを作ろうとしてなにかが出来上がったとしても、比較対象が無いので完ぺき主義者にとって納得なんて出来るはずが無く成功には感じられない><
とりあえず何かを作り基準を作ることで、改良という目に見えた目標と達成体験ができる><
目標を分割していけば、『とりあえず動くものができた』も当然達成目標になる><
でも、それによって『完璧なものを作る』という目標は消えるわけでは無い><
差し替えられるように作れば、とりあえず作るための土台は作られる><
土台無しに完璧なものを作ろうとしても、それは改良にはならないので、達成目標にはならない><
(つづく)
『部品が』という点が重要かも><
部品が揃わなきゃ完成しないのは当たり前で、部品の差し替えができないような構造で作ってしまったらもうどうにもなら無いけど、差し替えられるように作っておけば、とりあえずゴミみたいな品質の部品で我慢して先に進めて、あとからまともな部品に差し替えるって出来る><
これは個人の正確だけの話ではなく工学分野では当たり前のことで、例えば宇宙船を作る時に本体が完成して無くてもダミーウェイトを飛ばして試験したりする><
「ダミーウェイトは完璧な宇宙船では無い!!!」って怒ってもしょうがない><
完璧な宇宙船本体を待っていたら日が暮れてしまっていつまでも完成しない><
ウンコでも価値があるなら使ってやろうという人々とは感性が相容れないわけですよ
もちろん破棄したい気持ちになったら次のものはちゃんと作るんだけど、次のものを完成させるフェーズに行かなかったとき「気に入らない旧成果を使うくらいなら何も使わない方がマシ」という心持ちになってしまうわけです、それが「ウンコ食うより虚無の方がマシ」 (<https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/106000427633217514>) です
陶芸家のたとえで続けると、
とりあえずあんまり納得いかないお皿でも、とりあえずもっといいお皿が焼けるまでお皿として使ってればお料理を置く場所は出来上がるので、すぐに割らずにとりあえず使ってごはん食べながらもっといいお皿をどう作るか考えればいい><
「過去に『これでまあええやろ』と思ったものが後から見直すと無限に気に入らない」みたいな事例は本当に無数にあるので、「1日で実装できたそこそこのものは最後には捨てることになる」というのはマジです (本当だよ)
たとえば、1日で実装できそうで なおかつ それだけでも誰かがなにかが使えるもの を作れば、その1日分は成功になる><
1週間くらいかけて便利なライブラリ作ろう!とかしちゃうと、もうそれはこだわりを発揮しまくって 焼いては「違う!」といって割り続ける陶芸家のようになってしまうかも><;
オレンジがそういう性質で、かつ、自分で何かをやるときでも誰かに何かを教える時でも、とりあえず使えるようにするとか、部分でも意味があるものにするってしてるの、工学的な発想からの妥当性だけじゃなく、自分がそうじゃないと上手くいかないタイプだからなのもあるのかもって思ってきた><;
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ADHDの先延ばし癖、継続のできなさとASDの完璧主義が合わさるとhttps://twitter.com/Q_SA_I/status/999097081406021632
完璧にできないのなら最初からやらないor自分のお粗末さに途中で嫌気がさしてすべてを投げ出すという最悪な状態に陥り
不完全でも途中までやるという常識的な行動が取れずに
周囲に迷惑をかけたり、やる気がないように見られたりします
ていうか、この状況から国軍側が正当と認められたようなクーデター事例、冷戦終結以降で存在する?><;
基本的に人道に対する罪がより少ない側の方が正当とされてる事例ばかりでしょ><
ミャンマー情勢、ぶちキレてしまうので(><;)追いつつもあんまり言及してないけど、既に国軍側は将来 人道に対する罪で裁かれるのが必至の状況なのに、国軍とあと中国に配慮しちゃってるのって、状況を読めてないし過去の失敗から学べてないし、なんでこうも賊軍の泥舟の方につくのか・・・><
「制裁、今後検討」日本政府の回答に在日ミャンマー人「絶望」 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20210402/k00/00m/010/340000c
どういう風に試験・評価するのかものすごく謎だけど、評価がうまくいく前提で考えると単純には暗記でどうにかするタイプの人は落ちこぼれるんでは><
この新しい高校教育で落ちこぼれる人々って大学でプログラミング学ぶ時に落ちこぼれる人々とかなり重なるだろうから、大学のそっち方面にたどり着ける人もかなり変わるんでは感><(大学に来る前に考え方を改めさせられるわけだし><)
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ちゃんと思考実験も授業に組み込まれるし、歴史教育は近現代重視になるらしいし><
あと、調べ方重視で、まだ結論の出ていない問題への向き合い方、特になにも発言しなければ中立という誤った考え方を正す方向もあるっぽいし><
公民教育(『公共』科目)の強化も含めて、なんというか全体的にオレンジっぽいし、来年以降から高校生の世代には、今ほどはオレンジは変人扱いされないんでは感?><;
高校の教科書が大きく変わるって話><
WEB特集 “答えのない教科書” のぞいてみませんか? | 教育 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210401/k10012949721000.html
「これがユーチューブにアップされないことを願います」:生中継で犬にマイクを取られたロシアの女性特派員【動画】 - Sputnik 日本 https://jp.sputniknews.com/entertainment/202104038285859/
News Up 命を救う“独り言”がある | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210331/k10012944231000.html
盲導犬に絶対話しかけちゃいけないの、常識として百も承知だけど、こう、どうにかこうにか信号の状態を教える時だけ話しかけてもいいように訓練するとか出来ないのかね><;
たったの10行のコードで作られたMSX用RPG「10 Lines Hero」をブラウザで遊んでみた - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20210402-10-lines-hero-msx/
https://mobile.twitter.com/honowi/status/1375743251190177797
MSX BASIC最後に使ったの25年くらい前なのでもうちゃんと読めないけど、1行目がスプライトのデータなのかも?><
ハッセルでチェキが撮れるぞ--Hasselblad用の「Fujifilm Instax Mini」フィルムバック - CNET Japan https://japan.cnet.com/article/35150371/
これか?これかも(結局調べてるじゃん)
これはもしやフルメカニカルチェキ(アイレベルのファイダーがあればフルメカニカル一眼チェキになるかも)
一般人が受け入れられる限界がこれのような気がしなくも無い・・・><;
これ以上だとサブカルうんたらかんたらな人と変人しか使わない(使えない)かも感><;
これが一応フルメカニカルなチェキらしいけど、フラッシュがあるので電池が必要・・・><
Pixtoss(ピックトス)|タカラトミー https://www.takaratomy.co.jp/products/pixtoss/
フルメカニカルチェキは、マジで電源一切使わずに撮影もフィルム送り出しも全部手動でレバーとかハンドルとかで動かすやつ><
一眼チェキは、ほぼ普通の一眼レフなんだけどフィルムがチェキ><
それはそうなんだけど、本題はカメラ市場とスマホのカメラの高性能化の話なので、そもそもこだわらない人はスマホでいいよねそれはそうなわけで・・・><
たとえば「実用できているのになぜ『本質』とやらを追求しないといけないの」(←これは理由がわからないと言っているのではなく、そんなものは欲しくないと反語で言っている) みたいな人は無数にいるわけで (たとえばさんすうや数学を暗記科目にだと思いたがっているような人とか)。
人間皆が皆 “本質” の大切さを理解できて、そして理解できればその価値に気付くことができるに違いない、というのは私の言葉で言えば「人間に期待しすぎ」ということになります
これ、言いたいこと自体はよくわかるんだけど、同時に人間に期待しすぎというか、人間のことわかってないなぁとも思う
カメラでのフルマニュアル好きとしょぼいカメラも好き両方合わせた結果、オレンジが「あったらいいのに!><」って前から言ってる物が、フルメカニカルチェキと一眼チェキ><
私の写真へのスタンスは「自分が撮りたい写真が撮れるならよくて,それに用いる手段はなんでもいいと思っている ただもっと興味がでてきたり撮りたいものがあるなら何でも使ってみるといいよ,世界が広がるかもよ」って感じです