ほー
俺も打った気がする帯状疱疹ワクチン
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ほぇー
https://gigazine.net/news/20250404-trump-tariffs-ai-chatgpt/
ChatGPTなどのチャットボットに関税について質問するとほぼ同じ計算結果が返ってくる
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いま話してた共同研究者のYくん(@米国大学院)に聞いたら、外国の学生は政府批判とか自由パレスチナデモへの関与をSNSで呟くな、とのお達しが大学から出てて、自身もデモ関連のツイートは全部消したとのこと。
言論の自由が失われるのって一瞬なんやな…
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なんちゅうええはなしなんや・・・
https://digital.asahi.com/articles/AST420VNNT42UQIP01BM.html
この視点は常に重要ですね
「認知件数」良い言葉かも
https://digital.asahi.com/articles/AST3P2W2LT3PUTIL01LM.html
内田良(名古屋大学大学院教授=教育社会学)
【視点】文部科学省の問題行動調査における「暴力行為」は、対教師暴力/生徒間暴力/対人暴力/器物損壊の、4つの類型から成り立っています。
小学校については、2023年度の各類型の件数は、順番に対教師暴力が9,468件(1,000人あたり1.6件)、生徒間暴力が53,068件(8.7件)、対人暴力が658件(0.1件)、器物損壊が6,815件(1.1件)です。
都道府県格差が非常に大きいことがわかっていて、小学校の「暴力行為」全体でいうと、1000人あたりでもっとも多いのが宮城県の31.8件、次いで新潟県の31.3件です。もっとも少ないのが、愛媛県の0.0件(県全体で3件)、次いで福井県の0.4件(県全体で17件)と山形県の0.4件(県全体で17件)です。
このばらつきを、本当の暴力行為のばらつきとみなすのは無理があります。学校や行政側がどこまで公式に対応するかによって、件数としてカウントされるか否かがかわってきます。さらに踏み込んで言うと、学校や学級のなかでちょっとした出来事として内々に片付けてしまえば、その実態が件数として可視化されることはありません。
文科省は、暴力行為を「発生件数」とよんでいますが、私はいじめの取り扱いと同様に「認知件数」とよぶことがふさわしいと考えています。
つづき
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――東大や旧制高校では文系でも数学を重視するなど、オールラウンドの知識が求められました。
「東大型の人材は、今でいえば5教科7科目が満遍なくできることが前提となっています。得意な科目で高得点を取るよりも、すべての科目をそつなくこなすことが『学力』の基準だとされていました」
「入試に数学のない『私立文系』を下に見る風潮は明治時代からありました。東京専門学校(現在の早稲田大学)出身の作家・正宗白鳥は新聞記者だった1905年に、早稲田の卒業生は帝大出身者より下に見られるのは当然だと自虐的に書いています」
「どんな分野でもそこそこ結果を出せ、何にでもなれる人間こそ、近代国家のエリートとしてふさわしいという価値観があったわけです。一芸に秀でていることよりも万能性やバランスが評価されたといえるかもしれません」
――国家が近代化のための人材を養成するというのは、大学の本来のあり方なのでしょうか。
「東大を始めとする『官学』のあり方への反発は古くからありました。代表的なのは慶応義塾の創設者・福沢諭吉で、『官学全廃論』まで唱えています。初期の議会では、旧制高校の前身である高等中学校などの国立学校の予算を廃止しようといった提案もありました。今後は私立学校が発展するので、国家が学校をつくる必要はないというのが論拠の一つでした」
「福沢は官僚養成が主目的だった帝大に対抗するために、ハーバード大をモデルに慶応義塾を強化しようとします。彼は慶応をいずれハーバードの日本分校にすることまで構想していました」
「しかし、慶応や同志社のような私立大が自然に発展するのを待つ余裕は、当時の日本にはありませんでした。不平等条約改正や富国強兵のために、とにかく近代化を速く進めなくてはいけない。東大を頂点とする高等教育制度を短期間でつくり上げるしかなかった。そこから生じているひずみが、現在に至るまで続いているように思います」
おもろかった
尾原宏之さん
https://digital.asahi.com/articles/ASS7K1TDSS7KUPQJ00PM.html
――明治時代から今に至るまで、「反・東大」の声が一部でありました。
「日本社会で『東大』がそれだけ特別な地位を占め続けてきたからです。ある意味で『後進国』性の表れだといえます」
「例えば米国だとハーバードだけではなく、イエールやスタンフォードなど同じ水準の大学が複数あります。そうしたトップ大学の学生も、リベラルアーツ・カレッジから編入したり、大学院などから入ったりすることも多い。高等教育にある程度の多様性があるわけです。一方、日本では、学士入学や大学院入試で東大などの一流大学に入ることを『学歴ロンダリング』と揶揄(やゆ)する風潮が存在します」
「東大出身のロシア・東欧研究者から『モスクワ大学と東大には似たところがある』と聞いたことがあります。『後進国』が国民国家をつくっていく過程で、近代化を進めるための人材育成システムとして最高の教育機関をつくり、序列がつけられた。モスクワ大と東大が似ているというのはそういう意味でしょう。それがいまに至るまで持続しているように見えます」
――「後進国」性は東大のあり方や日本の教育にどんな影響を与えたのでしょうか。
「一極集中で優秀な学生を集めて、近代化を担う人材を急速に養成しようとするので、必然的に詰め込み教育に近くなります。授業に出て教授の言葉をひたすらノートに記録する生活に疲れた東大生も早くから現れます」
「教育史研究を見ると、日本では明治時代から予備校が発達していたことがわかります。学校体系ができあがるのとほぼ同時に、予備校が成立していたといえる。地方の中学校では、語学や数学など高度な学力が要求される高等教育の準備に対応できなかったからだと考えられています。事実上、教育体系に予備校がビルトインされていたことになります」
この記事おもろかった
高田里惠子さん
https://digital.asahi.com/articles/AST3X2GH7T3XUPQJ017M.html
教養や教養主義の衰退とは、それらが少数の特権的地位にいる人たちのものではなくなり、「脱・優等生戦略」としての役割を終えたことを意味します。1980年代の「ニューアカ」ブームでは、難解な現代思想書を読む「カッコよさ」がパロディーになるまで極められましたが、これが教養主義の最後の花火でした。
本を読まない人が覇権を握り、昨今の高学歴の若者は、もはや文化的カッコよさを求めたり、知的ヒーローへの憧憬(しょうけい)を抱いたりはしない。月刊誌「ユリイカ」を小脇に抱えデリダとかラカンとかゴダールなどとつぶやく場所を与えられるより、ネットの世界で評価される方が楽しいでしょう(笑)。背伸びをしなくなったし、それはまさに、ネットでは背伸びをした人を冷ややかに見てたたく風潮があるからかもしれない。また単純に、教養を追い求める余裕を多くの人が失っているという側面もあると思います。
ビジネスマン向けの「教養本」は売れているようですが、これは単に知的好奇心や、人口の一定数いる「歴史好き」によるものでしょう。私の定義する「自分自身を自分自身で作り上げる」「純粋さ競争」という意味での教養とは、ほぼ関係がないと思います。
とはいえ、教養が完全に死んでしまったわけではない。昔のように声高に人格修養を叫ばなくても、人は自分の人生を自分で構築している手応えが欲しい。その手段や対象は、かつては文学や哲学、芸術でしたが、現代ではボランティア活動とか社会奉仕、田舎暮らしに変わっているのかもしれません。それらをあえて選んで実践するには、やはり余裕が必要です。教養の対義語は以前は「立身出世」。そして今は「コスパ」「タイパ」なのでしょう。
自己形成と純粋さ競争という教養の根本がある限り、それはなお続いているのです。
なるほど
https://digital.asahi.com/articles/AST3S2GMNT3SUPQJ009M.html
藤田結子(社会学者)
【視点】いまも男女交際を目的とする「インカレサークル」が多く存在すると思いがちですが、そうではありません。私たちの調査からは、主に難関国立大学にそういったサークルが残っていることが示唆されました。
2021年に首都圏で「インカレサークル」に関する共同研究をしたところ、昔と違って、男女交際を目的とするインカレサークルは非常に少なかったです。約8割のインカレサークルは、入会可能な大学の範囲を限定せずに、多様な大学の学生が所属していました。
その理由は、女性の大学進学率が増えたので、インカレサークルが必要なくなったからです。あえてインカレに入らなくても、大半の私立大学では学内に女性の学生が多くいるからです。早慶も4割程度です。
今日活動しているインカレサークルの大半では、活動の主要な目的は男女交際や遊びではありません。学生たちは何をしているかというと、就活を念頭においたスキル向上を目的としてスポーツや他の種目に打ち込んでいます。学生文化の「まじめ化」「生徒化」ともいえます。
その一方で、難関国立大学にだけ、男女交際を目的とするインカレが存在していました。なぜなら女性の学生の割合がいまだ2割と少ないので、女性と交際するには学外の女性と知り合う必要があるからです。このようなインカレサークルは、入会者を特定の大学の女子学生に限定する傾向がみられました。そして、記事が指摘するような、難関国立大学>女子大学というヒエラルキーの人間関係も残っていました。
(「大学生のサークル活動への意味づけ――首都圏のインカレ・サークルを事例に」https://jss-sociology.org/other/20220930post-13598/#329)
そうであれば、難関国立大学で女性の学生の割合を、私立並みに4割以上に高めれば、このようなインカレサークルや価値観も減っていくのではないかと思います。学歴を獲得する過程で、このような価値観も内面化してしまう現状は男性にとっても不幸です。東京大学の女性比率を高めることは、社会全体にとって利点が多くあると考えます。
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読み応えのある記事だった
岡崎瑶記者
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250328/k10014762041000.html