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ペトラルカ『カンツォニエーレ』228番の翻訳.
Vat. lat. 3195の画像を上げ忘れていたので修正しました.
Beninteso, sulle altre 'varianti d'autore' vigiliane indicate dagli scoliasti o addirittura postulate da studiosi moderni io sono stato sempre, con Scevola Mariotti (mentre Rostagni e Funaioli troppo facilmente le ammisero), del tutto scettico:
Timpanaro, S., Virgilianisti antichi e tradizione indiretta, Firenze: Olschki, 2001: p. 18.
パッラディウス『農事論』(Palladius, Opus agriculturae)のシュミット版(Teubner, 1898)で問題の箇所を確認.
1巻37章2節の末尾は,tilia ilex minor et linusが大方の写本の読みで,10世紀のウィーン写本(V)がthinusという読みを伝えている.pinusにするのは1795年のシュナイダー版の判断で写本の支えは特にないもののようである.
ウェルギリウス『農耕詩』4巻141行でtinusかpinusかを判断する材料のひとつとしてここが参照させられている理由は校註まで見てみないとわからなかった.
「ビザンツの哲学者のモデルは「百科全書主義者」のそれである.すなわち哲学は,形而上学たることよりもむしろ実際的な科目(……)たることを目指していた.良き哲学者とは良き博識家のことであり,可能な限りもっとも多様な主題について教えることのできる雑学家,作文,追悼演説,皇帝への賛辞,教訓話などについての古代的な,だがたいていは無味乾燥な技法をあやつる修辞家であった」(アラン・ド・リベラ(阿部一智他訳)『中世哲学史』23-24頁)